佐志交流館の脇より山手に行くと、
興全寺墓地があり、
佐志島津家の祖御下姫の墓があります。
「桂樹院殿虚窓従伯菴」。
御下姫の墓。
宗家17代当主島津義弘の次女で、
幼名は千鶴であったとされ、
成長して御下と名乗ったとされますが、
その語源は不明ながら、
兄島津忠恒の正室が御上である事から、
御下と称したともされています。
始め伊集院忠真に嫁ぎましたが、
忠恒が義父伊集院忠棟を殺害し、
激怒した夫忠真は反乱。
これが鎮圧されて減封となっており、
後に忠真も殺害されてしまいました。
御下は島津家に戻っていますが、
人質として江戸に送られる事となり、
8年間江戸で人質生活を送った後、
許されて鹿児島に帰還。
帰国後は島津久元の後妻となり、
※宮之城島津家3代当主。
忠恒から江戸での人質の労に対し、
佐志3000石の化粧領を与えられます。
この化粧領で後に佐志島津家が興され、
弟島津忠清(島津義弘五男)が初代となり、
2代は久元との子島津久近が継ぎますが、
彼らは2人共に早逝してしまった為、
2代藩主島津光久の四男島津久岑が相続。
この久岑も19歳で死去しており、
光久の十一男島津久當が継いでいます。
以後佐志島津家は10代続き、
明治維新を迎えました。
佐志島津家歴代当主の墓所は、
鹿児島城下の笑岳寺にあったようですが、
現在は廃寺となっており、
墓所は整理されて小平霊園にあるとのこと。
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