鹿児島県薩摩郡 宮之城島津家墓所②

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つづき。


玉堂泰安大居士」。
8代当主島津久倫の墓。
7代当主島津久方の嫡男に生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
5代藩主島津吉貴の弟島津久亮を養子とし、
この事から大身分に家格が上昇しています。
23年の当主在任後に隠居。
その後は25年の隠居生活を送りました。


台巖道〇大居士」。
9代当主島津久亮の墓。
4代藩主吉貴の五男に生まれ、
8代久倫の養子となり僅か8歳で家督相続。
21年の当主在任の後に死去しています。


觀海了性大居士」。
10代当主島津久濃の墓。
8代当主久倫の実子に生まれますが、
家督は藩主の弟久亮が継いでいました。
その後に久亮の早逝で家督を相続し、
7年の当主在任の後に病死しています。


〇〇宗鐵大居士」。
11代当主島津久郷の墓。
分家の基多村島津家の出身で、
10代久濃が継嗣無く死去した為、
その娘を娶って家督を相続。
27年の当主在任後に死去しました。


湛然〇性大居士」。
12代当主島津久儔の墓。
11代久郷の嫡男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
29年の当主在任後に死去しています。


活山了道大居士」。
13代当主島津久中の墓。
12代久儔の長男として生まれ、
藩主の子である養嫡子が早世した為、
久儔の実子である久中が継嗣となり、
父の死去で家督を継ぎますが、
同年に病死してしまいました。


義山玄英大居士」。
14代当主島津久寶の墓。
12代久儔の次男に生まれ、
父と兄の相次ぐ死去に伴い家督を相続。
25年の当主在任後に隠居し、
同年の嘉永5年に死去しています。


宮之城島津家之墓」。
15代当主島津久治夫妻、
16代当主島津長丸夫妻、
17代当主島津忠丸夫妻の合葬墓。
久治は島津久光の次男として生まれ、
14代久寶の養子となって家督を相続。
海防総頭取皇居警備総督を務め、
薩英戦争では講和条約使節代表となり、
長崎英国人と交渉しています。
父と同じく公武合体派であり、
討幕には慎重論を唱えた為、
強硬派から軟弱とそしられており、
この為か維新後は家老を辞任し、
地元の教育振興に尽力。
しかしノイローゼ気味であったようで、
明治5年にピストル自殺してしまいました。
長丸は久治の長男に生まれ、
生後間もなく父を失っていますが、
明治30年に男爵を授爵。
貴族院議員となっています。
忠丸は長丸の長男で㈱島津興業元社長。

大名家墓所にも勝るとも劣らぬ墓所。
巨大な墓祠が立ち並ぶ光景は圧巻です。

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