山口県萩市 明木宿跡

明木宿赤間関街道中道筋と、
萩往還の宿場町で、
双方の街道が分岐する交通の要所。
参勤道である萩往還最初の宿場であり、
藩主の休憩所の御客屋が置かれ、
後にこれが御茶屋に昇格しています。


御国廻御行程記 明木」。


明木上市/下市周辺。緑の線が萩往還で、
青い線が赤間関街道中道筋。
青くぼかした辺りが明木宿跡。

南側から散策。

赤間関街道(中道筋)と萩往還の追分」。
堂尾追分と呼ばれる追分。
写真の道を直進すると萩往還で、
右折すると赤間関街道中道筋です。


追分から明木宿へと続く道。
緩やかな下り坂となっており、
江戸期の水田の石垣が残っています。
街道は突き当りのT字路を右折しますが、
往時はL字の道だったという。
坂を下りた左手に高札場がありました。


道標」。
T字路にある追分道標。
慶応3年に建てられた道標で、
本来は先程の追分にあったもの。
 右 せき道
 左 山口道



明木宿跡」。
宿場町らしい街並みではありますが、
明治24年に大火が発生しており、
殆どの家屋が焼失してしまったという。
その際に3軒のみ焼け残ったようで、
それが瓦屋根だった事から、
再建時は殆どの家が瓦葺きなりました。
家々は大火以降に復興されたもので、
殆どが石州瓦を用いています。


瀧口酒造」。
明治元年創業の造酒屋で、
明木地区で最も大きな建物。


乳母の茶屋」。
明木御茶屋のあった場所で、
現在は休憩施設となっています。
毛利家乳母を務めた佐々木という人が、
この御茶屋を下賜されたようで、
ここに住居を構えて住んでいましたが、
その後に休憩施設が建てられた際、
縁者の方が乳母の茶屋と名付けました。


乳母の茶屋から左折して路地へ。
この路地にも高札場があったようで、
先には明木橋が架かっていました。


旧明木橋跡」。
明木橋が架かっていた場所。
現在はもう少し下流に架かっており、
ここには橋脚の痕跡が残るのみです。
橋は水害のたびに架け替えられ、
その位置も変わっているとのこと。
最初の絵図(御国廻御行程記 明木)では、
ここより下流側に橋が架けられています。
川向いのお寺は西来寺

■赤間関街道/萩往還の宿場町

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