鹿児島県日置市 小松家墓所①

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日置郡吉利を領した重臣小松家は、
平重盛の孫平高清の末裔を称し、
大隅国禰寝院を領していた事から、
かつては禰寝氏を名乗っていました。
島津宗家16代島津義久により、
薩隅日三州の統一が進められた際、
16代禰寝重長が島津家の配下となり、
以降はその家臣として活躍。
17代禰寝重張の頃に領地替えが行われ、
鎌倉時代よりの旧領から吉利に移り、
後に24代小松清香小松氏を称し、
江戸期を通じて吉利領主となりました。


小松家墓所」。
禰寝家及び小松家の墓所は、
その菩提寺であった園林寺跡
廃仏毀釈により廃寺となっており、
墓地のみが残っています。


小松家先瑩之供養塔」。
初~15代当主の供養塔。
小松家先祖となってはいますが、
15代までなので正確には禰寝家。
彼らの墓は南大隅にあります。

初~15代の供養塔はありますが、
10代当主の墓はありました。

10代清平」。
10代当主禰寝清平の墓。
9代禰寝久清の子。
伊集院頼久の乱島津久豊に味方し、
応永24年(1417)に戦死しています。
清平の墓だけある理由はわかりませんが、
戦死した為に現地に墓が建てられ、
それが改葬されたと思われます。


16代重長」。
16代当主禰寝重長の墓。
15代禰寝清年の子で、
母は薩州家4代島津忠興の娘。
肝付兼続の味方し島津家と戦いますが、
兼続の死後に島津義久に寝返っており、
以後は島津家に臣従しています。
海外貿易商業奨励を積極的に行い、
温州みかんを始めて栽培したり、
ハゼノキを中華から取り寄せて栽培し、
蝋燭生産を行っており、
内政を重視した領主だったという。
鬼丸神社の祭神。


17代重張」。
17代当主禰寝重張の墓。
16代重長の嫡男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
太閤検地によって領地替えされ、
日置郡吉利に移封となっており、
鎌倉より治めた旧領を失っています。
関ヶ原の前哨戦である伏見城の戦いや、
その本戦に参加していますが、
島津の退き口で義弘らの本隊とはぐれ、
捕らえられて大坂に送られます。
その際に一緒に行動していた僧頼実が、
山岡景宗浅野幸長に釈放を乞い、
これが認められて放免。
ほとぼりが冷めた後に帰郷しました。


18代重政」。
18代当主禰寝重政の墓。
17代重張の次男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しますが、
22歳で早逝しています。

19代福寿丸は初代藩主島津忠恒の九男。
後に永吉島津家を相続した為、
ここに墓はありません。


20代重永」。
20代当主禰寝重永の墓。
福寿丸が永吉家を相続した為、
代わって当主となった忠恒の八男。


21代清雄」。
21代当主禰寝清雄の墓。
20代重永の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続。
家老として大隅国の農政を担当し、
ハゼノキの栽培を領民に強制して、
藩財政を改善させています。

22代禰寝清純の墓はありません。
清純は3代藩主島津綱貴の五男で、
21代清雄の養嫡子となり、
その死去に伴い幼くして家督を相続。
25年の当主在任の後に死去しました。

つづく。
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