鹿児島県日置市 小松家墓所②

/②
つづき。


23代清方」。
23代当主禰寝清方の墓。
22代禰寝清純の子で、
母は21代禰寝清雄の娘。
父の死去後に若くして家督相続しますが、
10年後に22歳で病死しています。


24代清香」。
24代当主小松清香の墓。
島津準次男家の出身で、
病死した23代清方の跡を継ぎます。
平重盛の末裔である事から、
禰寝家から小松家に改めており、
以後は小松家として継続。
9代藩主島津斉宣蟇目役を務め、
長期に渡って国老職を勤めました。


25代安千代」。
25代当主小松安千代の墓。
4代藩主島津吉貴の八男で、
24代清香の養子となりましたが、
今和泉島津家を継いでおり、
何故墓があるのかよくわかりません。


26代清行」。
26代当主小松清行の墓。
24代清香の弟。
島津準次男家を相続していましたが、
隠居した後に24代清香の養子となり、
養父の隠居に伴い家督を継いでいます。


27代清穆」。
27代当主小松清穆の墓。
宮之城島津家12代島津久儔の次男で、
26代清宗の養嫡子となっており、
養父の死去に伴い家督を相続。
34年の当主在任後に隠居しました。


28代清猷」。
28代当主小松清猷の墓。
27代清穆の次男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続。
清水郷地頭御軍役惣物頭取等を務め、
11代藩主島津斉彬の命により、
琉球に赴任していますが、
安政2年に現地で死去しています。
遺骸は琉球に埋葬されていましたが、
明治2年に歴代墓所に改葬されました。


29代清廉(帯刀)」。
29代当主小松帯刀清廉の墓。
喜入肝付家10代肝付兼善の三男で、
幼少より聡明であったという。
琉球で28代清猷が急死した為、
小松家の家督を相続。
家老として国父島津久光の改革を支え、
大久保一蔵等の優秀な藩士を登用し、
彼らをよく用いて活躍しました。
京都にて幕末の難局に対応し、
薩長同盟を成立させる等、
明治維新の実現に大きく貢献。
更なる活躍が期待されましたが、
明治3年に下腹部の腫瘍が原因で、
大坂の借宅で病死しています。


西蓮院殿従五位源譽直心大居士(左)」、
従五位伯爵小松帯刀之墓(右)」。
30代当主小松清直の墓と、
31代当主小松帯刀の墓。
清直は29清廉の庶子でしたが、
清廉の正室千賀(近)が引き取っており、
家督を継いだ養子の小松清緝は、
町田久成の弟。
清直に家督を譲って実家に戻っています。
帯刀は清直の長男で、
父清直の隠居に伴い家督を相続し、
明治29年に伯爵に叙されますが、
明治38年に死去しています。

/②

■関連記事■
鹿児島県鹿児島市 福昌寺跡/島津宗家墓所①
 薩摩藩島津宗家の歴代墓所。
鹿児島県薩摩郡 宮之城島津家墓所①
 一所持大身分宮之城島津家の歴代墓所。
鹿児島県日置市 永吉島津家墓所
 一所持永吉島津家の歴代墓所。