長寿院は桑名市北寺町の臨済宗寺院。
元々は陽向寺という寺だったようですが、
桑名藩2代藩主松平定行は、
※伊予松山藩初代藩主となる。
正室であった長寿院が死去した際、
実家島津家の宗派が臨済宗だった為、
陽向寺に葬って臨済宗に改宗させ、
寺名を長寿院と改称させました。
「本堂」。
鉄筋コンクリート製の近代的な本堂。
個性的なデザインとなっており、
壁面には久松松平家の梅鉢紋が、
象徴的に施されています。
「長寿院墓」。
本堂裏手にある長寿院の墓。
長寿院は松平定行の正室で、
薩摩藩初代島津忠恒の養女でした。
定行との間に伊予松山藩2代松平定頼と、
菊姫(松岡藩初代松平昌勝正室)を儲け、
※菊姫は福井藩6代松平綱昌の生母。
元和4年(1618)に死去。
定行は後に伊予松山藩に移封されますが、
松山城下にも長寿院(現法龍寺)を建立し、
位牌が納められたようです。
「酒井家累代之墓」。
桑名藩家老酒井家(500石)の累代墓。
幕末に藩存続に奔走した酒井孫八郎の家で、
元々初代酒井綱重は後北条家に仕え、
後北条家滅亡後は松平定勝の家臣となり、
後に定勝の三男松平定綱の家老となって、
以後は代々家老を務めた家柄。
綱重以降は2代酒井綱英、3代酒井朝房、
4代酒井朝章、5代酒井朝昌、
6代酒井朝豊、7代酒井朝貫、
8代酒井朝修、9代酒井朝益と続き、
10代孫八郎朝雄に至ります。
この墓は9代までの累代墓。
「靈瑞院殿得道宗安居士(右)」、
「奥平家累代之墓(中央)」、
「白雲院殿高風櫻陰居士(左)」。
奥平八郎左衛門貞應の墓、
奥平家累代の墓、
奥平新左衛門貞喜の墓。
こちらも家老家だった奥平家の墓所で、
定勝正室二之丸殿の実家奥平家の一族。
代々家老として仕えたようです。
「薩摩義士の墓」。
宝暦治水で犠牲となった薩摩藩士の墓。
白峰義雲居士(上田金左衛門(右))、
秋嶽涼心居士(徳田助右衛門(中央))、
碧天正雲居士(永山嘉右衛門(左))。
彼らは幕府役人への抗議の為、
自ら命を絶った者達です。
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