福井県小浜市 発心寺

発心寺は小浜市伏原にある曹洞宗寺院。
大永元年(1521)に若狭国守護武田元光が、
後瀬山城山麓に開山しています。
元光は享禄3年(1530)に隠居しますが、
実権は握り続けていました。
天文20年(1551)に元光は死去しており、
この発心寺に葬られています。


発心寺」。
発心寺は武田家没落と共に衰退しますが、
小浜藩京極家が復興して庇護し、
京極家転封後も酒井家に庇護され、
江戸期の寺運が隆盛しています。

境内より少し離れた場所に、
国学者伴信友の顕彰碑があります。

伴信友翁之碑」。
伴信友は本居宣長の没後の門人。
平田篤胤橘守部小山田与清と共に、
[天保の国学四大人]と称されました。

境内に入り発心寺墓地へ。

伴信友之墓(右)」、
伴家之墓(左)」。
国学者伴信友の墓と伴家の累代墓。
信友は小浜藩士山岸惟智の四男に生まれ、
後に同藩士伴信当の養嫡子となります。
国学者村田春門の紹介で宣長門人となり、
隠居後に学問の習得に専念。
古典の考証で優れた業績を残し、
国学者として大成していますが、
天保14年(1843)に藩主酒井忠義が、
京都所司代に就任した事に従い、
居住していた江戸から京都に移転。
藩主の業務を補佐してしましたが、
弘化3年(1846)に急死しました。

墓地には家老深栖家の墓所もあります。

深栖家墓所」。
小浜藩家老家深栖家の墓所。
上段が幕末期の当主で、
下段はそれ以前の当主の墓。
深栖家は1150石の知行を得ており、
代々家老として藩政を担った家系。
初代当主深栖九郎右衛門乗勝は、
大友義統の家臣であった深栖統勝の子で、
統勝は大友家没落後に幕府に召し出され、
内藤清次の与力となっていました。
その父の死後に家督を継いでいますが、
清次死後は初代藩主酒井忠勝の与力となり、
後に忠勝の家臣となって2000石を拝領。
以後は代々小浜藩の家老を務めています。

代数は不明ですが、
確認が出来たのは幕末の2当主。

至徳院賢譽最勝無倫居士」。
深栖家当主深栖典膳光亨の墓。
碑銘によれば享和3年(1803)に生まれ、
文久3年に61歳で死去しました。
海防の為に領内を巡視した記録があります。


深栖逸翁墓」。
深栖家当主深栖逸翁の墓。
号しかわかりませんが、
碑銘によれば文政8年(1825)に生まれ、
明治24年に死去しています。
家老岡見幽山直住の三男で、
典膳光亨の養子となりました。
家督相続時期は不明ですが、
文久3年以前だと思われます。
奥の墓は[深栖八代之墓]となってますが、
8代ではなく[八代さん]の墓。
たぶん光亨の娘で逸翁の妻でしょう。

■関連記事■
福井県小浜市 高成寺/酒井伊織家墓所
 筆頭家老酒井伊織家の墓所。
福井県小浜市 長英寺
 次席家老三浦家の墓所があります。
福井県小浜市 空印寺/小浜藩酒井家墓所
 小浜藩酒井家の歴代墓所。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です