長英寺の由緒は明確ではありませんが、
初めは御所寺と称していたという。
小浜藩初代酒井忠勝が死去した後、
家老三浦帯刀好正により、
忠勝の法名から長栄寺と改められて、
その供養塔が建てられました。
「参道」。
苔が非常に美しい参道。
石段が隠れるほど苔生しています。
「本堂」。
周辺の太良庄は三浦家の領地で、
その昔は荘園であったとのこと。
旧名が御所寺という名であった事から、
朝廷に関わりがあったかもしれません。
「空印寺殿傑傳長英大居士」。
小浜藩初代藩主酒井忠勝の供養塔。
本堂左側より上った崖にあります。
忠勝は酒井忠利の長男として生まれ、
徳川秀忠に従って第二次上田合戦で初陣。
川越藩主となった父の死後に家督を継ぎ、
幕政では老中として活躍して出世を続け、
小浜藩に加増転封となって、
12万3500石を領するに至り、
※譜代では彦根藩井伊家に次ぐ石高。
後に大老となっています。
隠居後は幼い藩主酒井忠清を後見し、
寛文2年(1662)に死去しました。
「三浦家墓所」。
三浦家は忠勝が小浜藩に入封した際、
家老となったとされており、
帯刀好正の父三浦七兵衛義也は、
忠利と忠勝の2代に仕えて、
2200石の知行を得ていたという。
長英寺は三浦家の菩提寺でもあり、
その先祖代々の墓が建てられ、
忠勝の墓所を守っています。
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