①/②
つづき。
南部町から更に進むと鷹匠町で、
町名は鷹匠が住んだ事に由来。
ここに寺田屋関連の2つの寺があります。
「大黒寺」。
別名薩摩寺とも呼ばれる寺で、
寺田屋殉難九士が葬られました。
「松林院」。
寺田屋お登勢らの墓がありますが、
この2寺は別記事とします。
「 京大津道 道標」。
突き当たりの児童館前にある道標。
弘化4年(1847)に建立されたもの。
「下板橋町」。
道標より東へ。
1つ目の四差路を北上します。
町名の由来は判りませんでした。
「指物町」。
指物職人が住んだ事に由来。
1つ目の三叉路を東へ。
「代官図子通」。
正確な由来は不明ですが、
図子は細道や路地という意味なので、
[代官の細道]って事でしょうか?
坂を登って2つ目の四差路を北へ。
「両替町」。
南北へ真っ直ぐ伸びる両替町通。
両替町は15丁目まであります。
両替商や金融関連業者が軒を連ね、
この町名となったとのこと。
元禄期には豪奢な暮らしをする人を、
[両替町風]と呼んだという。
どこまでが伏見宿か不明ですが、
両替町を越えた辺りとします。
「撞木橋親柱」。
両替町の先には疎水が流れており、
そこに撞木橋が架かっていました。
疏水は後に暗渠になった為、
この親柱だけが残されたようです。
なんだかただ歩いただけの記事。
そもそも宿場の中心は京橋付近のようで、
後半は蛇足だったかも?
とにかく歩いて足が痛いです。
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