京都府京都市 伏見宿跡②

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つづき。

南部町から更に進むと鷹匠町で、
町名は鷹匠が住んだ事に由来。
ここに寺田屋関連の2つの寺があります。

大黒寺」。
別名薩摩寺とも呼ばれる寺で、
寺田屋殉難九士が葬られました。


松林院」。
寺田屋お登勢らの墓がありますが、
この2寺は別記事とします。


京大津道 道標」。
突き当たりの児童館前にある道標。
弘化4年(1847)に建立されたもの。


下板橋町」。
道標より東へ。
1つ目の四差路を北上します。
町名の由来は判りませんでした。


指物町」。
指物職人が住んだ事に由来。
1つ目の三叉路を東へ。


代官図子通」。
正確な由来は不明ですが、
図子細道や路地という意味なので、
[代官の細道]って事でしょうか?
坂を登って2つ目の四差路を北へ。


両替町」。
南北へ真っ直ぐ伸びる両替町通
両替町15丁目まであります。
両替商金融関連業者が軒を連ね、
この町名となったとのこと。
元禄期には豪奢な暮らしをする人を、
[両替町風]と呼んだという。

どこまでが伏見宿か不明ですが、
両替町を越えた辺りとします。

撞木橋親柱」。
両替町の先には疎水が流れており、
そこに撞木橋が架かっていました。
疏水は後に暗渠になった為、
この親柱だけが残されたようです。

なんだかただ歩いただけの記事。
そもそも宿場の中心は京橋付近のようで、
後半は蛇足だったかも?
とにかく歩いて足が痛いです。

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