清浄華院にある玉松操の墓所。
玉松は王政復古の詔勅を起草し、
錦旗の意匠を考案した事で知られます。
「贈従三位藤原朝臣真弘卿之墓」。
国学者玉松操の墓。
玉松は公卿山本公弘の二男として生まれ、
醍醐寺無量寿院で出家。
猶海を名乗り大僧都法印に就任します。
しかし寺内の綱紀粛正を唱えて排斥され、
還俗して玉松操と改称。
大国隆正に師事して国学を学び、
以後は隠棲しつつ国学を研鑽しました。
慶応3年に岩倉具視の知遇を得て腹心となり、
王政復古の詔勅を起草したり、
幕府との戦いの為に錦旗の意匠を考案。
維新後は内国事務局権判事に就任し、
国学に基づいた保守的な政策を訴えますが、
新政府の欧化政策と合わず辞任し、
帰京して明治5年死去しています。
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王政復古の大号令が発せられた京都御所。
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鳥羽伏見の戦いで錦旗が掲げられた東寺。
・山口県山口市 錦の御旗製作所跡
錦旗が制作された場所のひとつ。