山口県山口市 三宅政七郎寿碑

小郡の尾崎墓地にある三宅政七郎寿碑
政七郎は新見藩の出身とされ、
剣客荒木要平に学んで修行を積み、
18歳の頃にその奥義を許されたという。
その後は江戸に出て斎藤弥九郎を師事。
練兵館神道無念流を数年学んだ後、
各地を遊歴して武技を磨いたようです。
文久3年に長州に赴いて御前試合を行い、
長州藩主毛利敬親がその技を認め、
禄が与えられて諸隊の剣術師範に就任。
山口米屋町の道場でこれを教え、
津島某の娘を娶って家庭を持ちました。
明治初年に小郡山手に移住しており、
以後も若者達に剣術を教えていた為、
当時の小郡本町には剣技に秀でた者が、
甚だ多かったとされています。
明治3年の奇兵隊脱隊騒動に連座した為、
騒動の後の裁判において新坂小太郎と共に、
土佐浪士遊撃軍に所属していた。
依之御雇被召放永牢舎被仰付候事」と、
※お雇い取り消しの上で永牢処分。
無期懲役の判決を言い渡された模様。
詳しく判りませんが後に恩赦で放免され、
その後も小郡で剣術を教えたようです。
※新坂のその後については不明。


三宅先生之碑」。
明治41年に門人達が建立した寿碑。
この頃には既に晩年を迎えていたようで、
老いて子も出来なかった為に、
余生を郷里を過ごそうと後に新見へ帰郷。
その後の足取りは不明です。
正確には墓碑ではないのですが、
現状では「唯一の三宅政七郎の碑」である為、
墓碑扱いされているようです。
傍らの「~信女」の墓碑は奥方のものという。

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