新南陽護国神社は永源山に鎮座し、
徳山藩の山崎隊の戦死者を招魂する為、
栄源山招魂場として建立されました。
後に富田招魂社、富田護国神社と改称。
現在は新南陽護国神社となっています。
新南陽市は合併して周南市となっており、
名称も変更されるかもしれませんね。
永源山は総合公園となっており、
旧新南陽市街や臨海工業地帯が見渡せる他、
プールや風車、美術館などもあり、
旧新南陽市民の憩いの場となっています。
「新南陽護国神社」。
綺麗に整備・管理されている様子。
元々は永源山山頂にあったようですが、
海軍用地として譲渡を要請された為、
現在地に移転。
近隣の町民3000人が労働奉仕したようです。
「招魂場碑」。
招魂場の由緒を記した石碑。
「永源山招魂場」。
社殿の後ろに32柱の招魂墓が並びます。
他にも折れた招魂墓も置かれていました。
これらは山崎隊士及び献功隊士のもの。
富田村庄屋岩崎庄左衛門を賄方とし、
富田隊と仮称して慶応元年に創設。
山崎八幡宮にちなみ山崎隊と改称しました。
芸州口の戦いや小倉口の戦いに参戦し、
戊辰戦争でも徳山藩主力として戦っており、
有志の者で構成されていました。
献功隊は朝気隊、斥候銃隊、武揚隊、
順祥隊を合併し明治元年に再編成部隊で、
児玉源太郎も在籍していました。
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