山口県熊毛郡 麻郷護国神社

山口県内には多くの招魂社がありますが、
その創設は諸隊だったり領主だったりと、
それぞれが独自で創建されています。
これらの事実を知らぬ左翼的な人々は、
後の靖国神社に繋がる招魂社(護国神社)を、
政府主導の政策であるという。

元々その死者を弔うのは親族であり、
身寄りの無い者は無縁仏となる。
士族の次男三男百姓等の多い奇兵隊で、
その戦死者を隊の皆で祀ろうという趣旨で、
高杉晋作が発案したのが招魂場。
その志には清らかな精神がありました。

麻郷護国神社の前身である惣田山招魂場は、
長州藩の資金で創立されたものですが、
藩中央政府の主導ではなく、
上関宰判独自の主導によるもので、
管内出身の戦死者を祀っています。


熊毛郡田布施町周辺(麻郷護国神社の場所)
入り口が見つからずに困って、
近所の方に聞いてたどり着きました。
入り口は北側にあります。


麻郷護国神社境内」。
境内は意外と広い。
昔の慰霊祭では露店が出たり、
踊りがあったり華やかであったという。
もちろん現在も慰霊祭は行われています。


拝殿」。
祭神には幕長戦争戊辰戦争の戦死者の他、
明治以降の戦役の戦死者も合祀されました。

拝殿の後ろの本殿から、
少し下った場所に招魂場があります。

惣田山招魂場」。
上関宰判管内出身の戦死者の招魂場。
左右1列ずつ43柱が並びます。

他の招魂場に比べ特徴的なのは、
木製の招魂碑がある事。

木製の招魂碑」。
朽ちて残念な状態になってはいますが、
木製は本来の招魂場招魂碑の姿。
桜山神社の招魂場も、
最初は木製で造られていた様です。

これらの木製の招魂碑は、
定期的に建て替えられているのでしょうか?
※後日問い合わせたところ、
 定期的に建て替えられてはいないとの事。
 木柱の霊標は、
  慶応3年 内山伝七霊神
  慶応3年 江山利太郎霊神
  慶応2年 山県恭平霊神
  慶応2年 国行雛次郎寛敬霊神
  慶応2年 神宮一蔵霊神
  慶応2年 野村吉蔵義勝霊神
  慶応2年 楢崎隆蔵義綱霊神
  慶応元年 小田友次郎霊神
  元治3年 横道助四郎一定霊神
  安政   正四位清狂先生霊神
  慶応4年 平野光次郎源忠国霊神
  慶応3年 安長卯吉有義霊神
  慶応4年 砂田熊太郎康秀霊神
 ・・との事。

 気になるのは安政年間の清狂先生
 これは海防僧月性の事もので、

 清狂は月性の号です。

麻郷護国神社は管内戦死者の為に、
上関宰判が創建した惣田山招魂場が前身。
その後の戊辰戦争の戦死者も合祀され、
社殿も建てられて惣田山招魂社を経て、
麻郷護国神社と改名したものです。
以後は各戦役の地元戦死者も合祀され、
後に小学校の奉安殿を本殿として移築し、
現在に至っています。

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