東北に出張に行く場合には、
羽田を経由して行く場合が多くあり、
用がなくても東京に行く機会があります。
今年だけでも既に3回。
東京というのは今も昔も大都会で、
何度来ても巨大さに恐縮し、
我が地元との差を感じてしまうもの。
江戸時代より世界一の人口を誇っており、
※諸説あります。
他の地域が勝とうなんて不可能です。
しかしながら東京が巨大であればある程、
郷土への愛が深まっていくように感じます。
上手くは言えませんが、
超高層ビルや最新設備を見る度に、
我が地元が愛らしく思えて来る。
それは僻みとか競争心とかではなく、
生まれた地元が好きだという気持ち。
江戸時代にも参勤交代や遊学で、
多くの諸藩の藩士達が、
この江戸に来ていたようですが、
彼らも同様に感じたのではないでしょうか?
さて、例の如く出張からの帰り、
少しフライトまでの時間の余裕があり、
じゃあ上野の西郷像を見に行こうかと、
上野恩賜公園に行ってきました。
訪問時は3月25日でJR上野駅で降りると、
なんだか凄い人、人、人。
上野って人が多いのか?と思ったら、
そうか!花見の季節だ!
全国的にも有名な桜の名所。
花見は春の訪れを寿ぐ日本古来の風習で、
奈良時代より貴族や武士階級の間で行われ、
庶民に普及したのは江戸時代からだという。
当時は将軍の菩提寺寛永寺があったので、
庶民が上野で花見をするようになったのは、
明治以降の事らしい。
当時は浅草や飛鳥山などで、
庶民は花見を楽しんだようです。
人ごみ多くて最悪だなぁと思いつつ、
江戸の花見の様子を感じるのもまた一興。
花見客でごった返す上野恩賜公園へ。
「壁泉」。
上野恩賜公園全域が寛永寺の寺領でしたが、
その寛永寺総門(黒門)があった場所です。
この「壁泉」がある場所に、
当時は黒門が建っていたようで、
黒門をイメージしたデザインとのこと。
上野戦争において黒門口が最大の激戦地で、
彰義隊は高低差を利用して銃撃を行い、
新政府軍に大きな損害を与えました。
実際の黒門は荒川区の円通寺に移築され、
現存しています。
「壁泉」の右側石段を登り、
お目当ての西郷像へ向かう。
「西郷隆盛銅像」。
上野の西郷さんとして親しまれる銅像。
明治22年に大日本帝国憲法が発布され、
その大赦によって逆徒の汚名が解かれ、
薩摩藩出身者が中心となって計画され、
宮内省の下賜と全国有志の寄付で、
明治31年に除幕されたもの。
西郷の妻糸子が、
「こげんな人じゃなか」と、
言ったとされますが、
この話はどこから出てきた話なんでしょ?
本人に似てないだの色々云われていますが、
そっくりな銅像の方が希だと思います。
ここは山王台と呼ばれる場所で、
上野戦争時には砲台が築かれていました。
これが新政府軍を散々に苦しめましたが、
結局はアームストロング砲や、
壁をよじ登った決死隊の活躍により、
山王台は陥落。
黒門口突破の糸口となってしまいます。
西郷像北側の彰義隊戦死者の慰霊碑へ。
「戦死之墓(彰義隊の墓)」。
上野戦争で戦死した彰義隊士の遺体は、
新政府軍を憚って放置されたままでしたが、
円通寺の和尚と商人三河屋幸三郎が、
戦死者供養の官許を受けて、
上野山で荼毘に付したようで、
一部を円通寺に埋葬したとされています。
この慰霊碑は元彰義隊士が建立されたもの。
公園内は各所で宴会が開かれていましたが、
園内に建つ記念碑に座っている人たちも。
非常識な人も多くいますね。
「清水観音堂」。
清水観音堂は京都の清水寺を見立てたお堂。
本尊の千手観世音菩薩は秘仏で、
ご開帳は年に1回の2月の初午法楽の日。
上野戦争で殆どの伽羅が焼失しましたが、
奇跡的に難を逃れて現在に至ります。
「天海僧正毛髪塔」。
寛永寺は南光坊天海が創建した寺。
幕府創設や江戸都市計画に関わった人物で、
色々と謎の多い人物です。
徳川家康の神号を決めるにあたって、
豊臣秀吉のように明神とすることに反対し、
「権現」として祀ることを主張。
「明神」を選んだ豊臣家を不吉として、
家康の神号は「東照大権現」と決定され、
家康は日光で権現様として祀られました。
天海の遺骸は遺言によって日光に葬られ、
毛髪を納めた供養塔が建てられています。
・・坊さんなのに毛髪あったの??
「小松宮彰仁親王像」。
幕末・明治期の皇族小松宮彰仁親王の銅像。
戊辰以降には皇族が征討総督に任命され、
各地に赴いていますが、
実際は参謀が指揮を取っていました。
ところが彰仁親王(仁和寺宮嘉彰新王)は、
率先して軍務に就いたようで、
後に近衛師団長、参謀総長等を、
歴任しています。
「上野東照宮」。
寛永寺には多くの伽羅が建立されますが、
そのひとつとして家康を祀る東照社が建立。
ここも焼失を免れています。
人が多すぎるので中まで入るのは断念。
「上野動物園」。
上野動物園といえばパンダですね。
赤ちゃんパンダが公開されていますが、
訪問時はすでに閉園してました。
※開園してても行かないでしょうけど・・
「野口英世像」。
伝染病研究で知られる医学博士。
子供の頃、伝記を読んだことがあります。
「旧因州池田屋敷表門 黒門」。
大名小路にあった鳥取藩上屋敷の正門。
左右に向唐破風造の番所を設けた長屋門で、
常宮御殿の表門として移建され、
次に東宮御所の正門として使用され、
さらに高松宮家の正門となり、
昭和29年に現在地に移築されました。
すごい経歴の門ですね。
「寛永寺」。
広大な境内に持っていた寛永寺ですが、
現在の境内は約3万坪とのこと。
それでも十分に広いですね。
将軍家の霊廟等が残されているようですが、
事前の申し込みが必要とのことです。
とにかく人だらけ・・。
いつもと違う上野公園なのでしょうから、
またいつか再訪したいと思います。
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