五島列島の中通島に長期出張中。
日曜日も現地休暇ということで、
普通なら史跡めぐりでもとなるのですが、
中通島の史跡は既に周り尽くしています。
そんな訳でどこにも行く予定なかったので、
宿のある魚目をうろついていましたが、
ふと立ち寄った祖父君神社の頌徳碑に、
大久保利通の名がありました。
「松園貫一翁 中口茂喜翁頌徳碑」。
祖父君神社境内に建てられている碑で、
魚目漁業協同組合が建立したもの。
明治維新で諸々の封建制度が撤廃され、
地元の名士松園貫一は、
加徳士の所有する漁業権を浦人に解放し、
共同公平な方法で漁業を行うよう提案。
県と交渉を重ねた末、
内務卿大久保利通に請願する等、
10年以上の努力を重ねた結果、
明治12年に漁業権の半分を、
浦人の所有とすることに成功しています。
・・大久保に請願したとなっていますが、
漁業権の半分を得たのが明治12年で、
明治11年の大久保暗殺後です。
大久保は請願を取り合わなかったのでしょう。
もうひとりの中口茂喜という人は、
大正から昭和にかけての漁業組合長。
村長も勤めて村民為にに尽力した人です。
江戸期には[加徳]という世襲制の漁業権があり、
その加徳士によって特権的に漁業が行われ、
目勝手に漁をすることが出来ませんでした。
成立後から諸問題を抱える新政府は、
漁業にまで目を向けきれていないようで、
漁業の御一新は彼らの人知れぬ努力で、
成し遂げられたのでしょう。
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中通島の平戸藩出張代官所。
