十朋亭維新館の隣に整備された庭があり、
三文字屋跡の碑が建てられています。
「三文字屋跡」。
三文字屋は和紙問屋。
長州の和紙は防長三白(四白)のひとつとして、
藩に奨励された産業のひとつです。
長州和紙は当時全国シェア30%を誇っており、
徳地和紙や山代和紙は品質が良かったとか。
三文字屋は和紙元締めであったようで、
当主は名字帯刀も許されています。
三文字屋は藩庁が山口に移ってからは、
藩士達の宿泊所として利用され、
政府人宿、客館、政務座御用所として、
藩の用人が出入りしており、
久保断三、吉田稔麿は度々滞在していました。
他にも国司信濃、玉木文之進、入江九一、
白石正一郎、加藤有麟、松田正人も、
三文字屋を訪れたとされています。
「吉田稔麿止宿之地」。
中間の身分であった吉田稔麿は、
文久3年に士分に昇格となりましたが、
それを伝えられたのはこの三文字屋滞在時。
白石もここで士分取立を伝えられたようで、
ただの宿泊所ではなく、
政務に関わる重要な場所だったようです。
この三文字屋や十朋亭の他、
道向かいの㈱宗像建設の敷地には、
当時吉見屋という商家があり、
高杉晋作や山縣有朋が宿泊していました。
この界隈が宿場のだったようですね。
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ここも藩士らの宿泊所に当てられています。
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松門四天王のひとり吉田稔麿について。
・山口県山口市 山口政事堂跡
萩から移転した長州藩の藩庁。