佐倉藩の総鎮守である麻賀多神社へ。
麻賀多神社は佐倉市内に11社、
隣接する酒々井町に2社、成田市に2社、
富里市に2社、八千代市に1社あり、
古くから親しまれていた神社だったようで、
印旛沼南東にのみ存在する神社でした。
総国(上総、下総)は古来より麻の産地で、
総は麻を表しているという。
朝廷より多氏が国造として派遣され、
その多氏が代々祀ったのが朝賀多神社で、
麻(総)国で多氏が賀す神の社が名の由来。
佐倉の地名も麻倉が転じたともされます。
江戸時代には藩主や家臣に崇敬され、
藩主家が変わっても庇護されました。
「麻賀多神社」。
総鎮守ですがそれ程広くありません。
訪問時は七五三シーズンで、
着飾った子供たちがお参りしていました。
「拝殿」。
現在の社殿は、
天保14年に堀田正睦が建て替えたもの。
境内にある碑。
左から
「義烈之碑」「忠勇之碑」
「両士記念之碑」。
中央の忠勇之碑は、
佐倉出身の日露戦争出征者を慰霊する碑で、
左側の義烈之碑は、
戊辰戦争から日清戦争の出征者の慰霊碑。
佐倉藩は新政府軍として戊辰戦争に参加し、
4名の戦死者を出しています。
右側の両士記念之碑は、
旧幕軍として戦死した元佐倉藩士の慰霊碑。
佐倉藩士木村隆吉と小柴小次郎は、
江戸で大鳥圭介の脱走に呼応し、
木村は彰義隊へ、
小柴は草風隊に参加しました。
神社の向かいは佐倉養生所があった場所。
「佐倉養生所跡」碑。、
慶応3年に設置された藩営西洋式病院。
藩医佐藤尚中が長崎療養所をモデルに、
藩命で開設したとされており、
12俵半以下の小給藩士や領内窮民に、
治療が無料で行われていたようですが、
残念ながら明治初年に閉鎖しています。
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