三重県まで車で出張。
一晩泊まって帰る事になり姫路に宿泊。
朝10時に出発と決まったので、
それならばと朝早くから起きて、
周辺の史跡を一人で行ってきました。
6時に起きて林田陣屋に向かいます。
姫路市林田町周辺(林田陣屋の場所)
林田藩は建部家の支配する外様藩で、
江戸時代初期の尼崎からの転封以降、
250年余りの間林田周辺を治めました。
「… 続きを読む
三重県まで車で出張。
一晩泊まって帰る事になり姫路に宿泊。
朝10時に出発と決まったので、
それならばと朝早くから起きて、
周辺の史跡を一人で行ってきました。
6時に起きて林田陣屋に向かいます。
姫路市林田町周辺(林田陣屋の場所)
林田藩は建部家の支配する外様藩で、
江戸時代初期の尼崎からの転封以降、
250年余りの間林田周辺を治めました。
「… 続きを読む
姫路藩の尊攘派を壊滅させた甲子の獄。
その殉難者の中心的人物が河合惣兵衛。
藩主酒井忠績は京都所司代を臨時に代行し、
京都に赴いた際はこれに惣兵衛も同行し、
諸藩の尊攘派志士と交流します。
特に三条実美と懇意になっており、
足しげく三条邸に足を運びました。
文久3年の八月十八日の政変… 続きを読む
姫路市には本徳寺が二つあります。
亀山本徳寺と船場本徳寺。
浄土真宗の本願寺派と大谷派の寺院で、
今回訪問した船場本徳寺は真宗大谷派。
「船場別院本徳寺」。
正式には真宗大谷派姫路船場別院本徳寺。… 続きを読む
譜代藩であった姫路藩にも尊攘派は存在し、
その首魁河合惣兵衛は京にて積極的に活動。
姫路藩勤皇党は藩内でも尊攘運動を展開し、
守旧派と攻防が繰り返されていました。
勤皇党は豪商紅粉屋又左衛門の暗殺や、
天誅組への資金援助を行っており、
事態を重く見た筆頭家老高須広正は、
藩内尊攘派の弾圧を開始します。
甲子の獄と呼ばれるこの一連の弾圧により、… 続きを読む