譜代藩であった姫路藩にも尊攘派は存在し、
その首魁河合惣兵衛は京にて積極的に活動。
姫路藩勤皇党は藩内でも尊攘運動を展開し、
守旧派と攻防が繰り返されていました。
勤皇党は豪商紅粉屋又左衛門の暗殺や、
天誅組への資金援助を行っており、
事態を重く見た筆頭家老高須広正は、
藩内尊攘派の弾圧を開始します。
甲子の獄と呼ばれるこの一連の弾圧により、
姫路藩は約70名の処罰者を出し、
その結果、姫路藩勤皇党は壊滅しました。
甲子の獄で捕らえられた尊攘派が、
斬首された獄舎跡を訪問。
姫路市魚町周辺(大蔵前公園の場所)。
獄舎のあった場所は公園となっています。
「姫路藩勤王志士終焉之地」碑。
河合伝十郎と江坂栄次郎の2名は斬首され、
河合惣兵衞、松下鉄馬、
伊舟城源一郎、市川豊二、
萩原虎六、江坂元之助の6名が切腹。
斬首には脱藩による罪も含まれています。
この弾圧事件の報復として、
維新後に佐幕派の弾圧が行われ、
戊辰の獄と呼ばれる事件が発生。
150名の処罰者を出しました。
※2021/03/09 再訪して写真を変更。
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姫路藩酒井家15万石の居城。
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姫路藩尊攘派の首魁河合惣兵衞の墓所。
・兵庫県姫路市 船場本徳寺
甲子の獄殉難者の慰霊墓。