姫路市には本徳寺が二つあります。
亀山本徳寺と船場本徳寺。
浄土真宗の本願寺派と大谷派の寺院で、
今回訪問した船場本徳寺は真宗大谷派。
「船場別院本徳寺」。
正式には真宗大谷派姫路船場別院本徳寺。
明治天皇巡幸で行在所に選ばれました。
「本徳寺本堂」。
享保3年に建てられた本堂は現存。
火災や空襲を乗り越えた立派な本堂です。
「勁節厳風」碑。
本堂の裏手に西南戦争の慰霊碑があります。
不思議な形状の碑でまるで西洋の墓の様。
題字は有栖川宮熾仁親王によるもの。
「勤皇の志士の碑」。
本堂裏手にある甲子の獄殉難者の慰霊墓。
12柱の慰霊墓は左から、
贈従四位河合総兵衛宗元君霊位
贈正五位萩原虎六政興君霊位
贈正五位河合傳十郎宗貞君霊位
贈正五位江坂元之助行厚君霊位
贈正五位伊舟城源一郎致美君霊位
贈正五位松下鉄馬綱光君霊位
贈正五位江坂栄次郎行正君霊位
贈正五位市川豊次久明君霊位
従五位永田伴正君霊位
贈正五位秋元正一郎安民君霊位
贈正五位境野求馬意英君霊位
贈正四位河合屏山君霊位
上から8人だけが甲子の獄の殉難者で、
下の4人は付け足されたようです。
永田伴正と河合屏山は明治まで生存。
中央の岩みたいなものは、
ドイツの城の彫刻とのこと。
船場本門寺の境内は第一次世界大戦中、
独軍捕虜の収容所として使用されており、
3百名以上の独人捕虜が収容されました。
捕虜達が故郷をイメージした噴水を制作し、
それがここに置かれたようです。
捕虜とはいえ境内では自由であったようで、
万国法に乗っ取った扱いが成されました。
よりにもよって慰霊墓の前に建てる?
自由すぎるでしょ?
※2021/03/09 再訪して写真を変更。
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甲子の獄殉難者の慰霊碑。