奥の院墓地にある崇源院の墓所。
崇源院は浅井三姉妹の三女於江の事で、
徳川秀忠の継室(御台所)でもあります。
奥の院墓地の墓石群の中で最も巨大で、
その高さは6.6mもある事から、
「一番石」の名で広く知られていました。
「崇源院殿一品太夫人昌譽大禅定尼」。
徳川秀忠御台所 於江与の方の墓。
於江は浅井長政と継室於市の方の三女で、
長政は義父である織田信長を裏切り、
居城の小谷城を攻められて自害。
於市の方は於江と姉2人(茶々、初)と共に、
落城する小谷城から救出されています。
その後に於市の方は柴田勝家と再婚し、
三姉妹も勝家の居城北ノ庄城へ転居。
しかし勝家も羽柴秀吉に敗れ、
北ノ庄城で於市の方は勝家と自害し、
三姉妹のみが秀吉に助けられました。
その後に於江は佐治一成に嫁ぎますが、
小牧長久手の戦い後に一成は追放され、
その際に一成と離縁。
於江は秀吉の甥豊臣秀勝と再婚しますが、
秀勝は朝鮮出兵の陣中で病死してしまい、
文禄4年(1595)に秀忠と再々嫁します。
秀忠との間にはニ男五女を儲けており、
・千姫(豊臣秀頼正室、本多忠刻正室)、
・珠姫(前田利常正室)、
・勝姫(松平忠直正室)、
・初姫(京極忠高正室)、
・徳川家光(3代征夷大将軍)、
・徳川忠長(駿府藩主)、
・和子(後水尾天皇中宮)。
夫婦仲は良好であったようですが、
その反面で嫉妬深かったようで、
側室を置くことを許さなかったとも。
寛永3年(1626)に死去しましたが、
徳川将軍15代の御台所の中で、
唯一将軍を産んだ御台所でした。
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増上寺にある崇源院の墓。
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浅井三姉妹の次女常高院(初)の墓所。
・和歌山県伊都郡 高野山奥の院墓地
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