志道家は毛利家庶流坂氏の一門で、
坂広秋の四男志道元良を祖とする家。
2代志道広良は毛利元就の器量を見抜き、
早くから元就と親交を結び、
元就の軍師的な役割を担いました。
その後も代々毛利家に仕えており、
防長移封後は於福3000石を与えらえ、… 続きを読む
広島県安芸高田市 志道家墓所
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志道家は毛利家庶流坂氏の一門で、
坂広秋の四男志道元良を祖とする家。
2代志道広良は毛利元就の器量を見抜き、
早くから元就と親交を結び、
元就の軍師的な役割を担いました。
その後も代々毛利家に仕えており、
防長移封後は於福3000石を与えらえ、… 続きを読む
長州藩の準一門家である福原家は、
安芸毛利家4代毛利元春の五男が、
縁戚である備後長井家の養子となり、
後に内部荘福原村を領して福原姓に改め、
福原元世と名乗った事に始まります。
毛利家に終始協力しており、
更に8代福原広俊の娘が毛利弘元に嫁ぎ、… 続きを読む
長州藩の寄組国司家は、
足利尊氏の家臣高師泰の子高師武が、
高田郡国司荘を領して国司姓を名乗り、
安芸毛利家に仕えた譜代の家。
一貫して毛利家の重臣として活動し、
特に7代国司元相は毛利隆元… 続きを読む
宍戸隆家は安芸宍戸家13代当主で、
毛利元就の娘五龍局を娶り、
毛利家一門となった人物でした。
「宍戸隆家墓所」。
隆家の菩提寺天叟寺の跡で、
墓所への道は案内板も設置されていますが、
矢印通りに行くと柵で行けません。… 続きを読む
理窓院は甲田町にある真言宗寺院。
宍戸元源が建立した宍戸家の菩提寺で、
元源の墓所となっています。
「本堂」。
理窓院は安芸高田市唯一の真言宗寺院。
元々は禅宗であったとされており、
寛永4年(1627)に真言宗に改宗したという。
本堂は国指定重要文化財… 続きを読む
安芸高田市はかつての毛利家本領。
毛利家家臣団の先祖の墓所が多くあり、
今回はそれらを巡ってみようと思います。
長州藩筆頭家老安芸宍戸家は、
鎌倉殿の13人のひとり八田知家の四男で、
所領から宍戸姓を名乗った宍戸家政から、… 続きを読む
開善寺の原家墓域に何故か、
小笠原内匠祖の墓があります。
「小笠原内匠祖之墓」。
小笠原内匠祖の墓。
何故原家の墓域にあるか不明ですが、
墓地移転の際にこうなったのでしょう。
小笠原内匠は藩主一門の家格で、
[御名字之族]と称される系譜。
執権職を拝命する重臣拾四家… 続きを読む