岡山藩筆頭家老伊木家の歴代墓所は、
長島墓地と千力山墓所の二ヶ所。
※他に14代が少林寺、15代が東山墓地、
初代と2代は兵庫県三木市にあります。
千力山の方は伊木家本拠虫明にありますが、
長島墓地は文字通り長島にあります。
現在は長島大橋が架かっていますが、
当時は舟が必要な島だったようで、
5,6、7、9、10代当主の墓所は、
この参拝にも不便な場所に造営されました。
これは5代伊木忠義の遺言によるもので、
6代伊木忠興はこれに従い忠義の墓所とし、
自らも父の側への埋葬を希望。
婿養子の7代伊木忠知もこれに倣いますが、
8代伊木忠福は千力山を墓所としています。
9代伊木忠真、10代伊木忠識も長島に葬られ、
以降は千力山が11~13代の墓所となり、
14代の少林寺墓地を経て、
15代以降が東山墓地を墓所としています。
この長島という島は、
2つのハンセン病の療養所があり、
かつては島に患者が隔離されていました。
現在は抗菌薬の内服で治る病気ですが、
治療法確立以前は患者が強制的に隔離され、
二度と出られる事はなかったという。
この為に長島大橋が架けられた際、
橋を[人間回復の橋]と呼んだとのこと。
「伊木家長島墓所」。
伊木家長島墓所は橋を渡ってすぐ。
道の先には国立療養所があるようですが、
興味本位で行くような場所でもありませんし、
墓所への参拝だけして帰りました。
「摂受院殿明誉常照光念大居士」。
伊木家5代当主伊木忠義の墓。
分家の伊木兵庫幸知の子で、
伯父の4代伊木忠親の養子となっており、
忠親の死去に伴い家督を相続しました。
16年間の当主に在任後に死去。
上記のように長島への埋葬を遺言し、
遺言通りにここに葬られました。
「真諦院殿前豊州光譽圓徳理覺大居士(右)」、
「智徳院殿穏譽平安理明大姉位(左)」。
伊木家6代当主伊木忠興の墓と、
忠興の正室智徳院の墓。
5代忠義の長男として生まれ、
父の死に伴い家督を相続しました。
虫明に瀬戸窯を開き茶器を焼かせたとされ、
隠居後には有信斎と名乗り、
4年の隠居生活の後に死去しています。
「大應院殿心印道性大居士(右)」、
「掩粧 清心院殿性譽智海法榮大姉(左)」。
伊木家7代当主伊木忠知の墓と、
忠知の正室小豊姫の墓。
片桐池田家4代池田長喬の三男に生まれ、
6代忠興の長女小豊姫を娶って婿養子となり、
養父の死去に伴い家督を相続しました。
子沢山であったようですが、
小豊姫との間に生まれた嫡子は早逝し、
6代忠興の長男伊木忠芳の子中福を養子とし、
23年の当主在任後に死去。
「國老伊木長門橘忠真之墓(左)」、
「掩粧 清操院殿戒圓妙灮大姉(右)」。
伊木家9代当主伊木忠真の墓と、
忠真の正室貞姫の墓。
建部池田家9代池田博道の次男に生まれ、
8代忠福の養子となり家督を相続します。
中納言藤原宗時の娘貞姫を娶りますが、
継嗣は育たず9年の当主在任後に死去。
「信綱院殿前長州心巖静安大居士」。
伊木家10代当主伊木忠識の墓。
7代忠知の四男として生まれ、
分家の当主となっていましたが、
宗家の家督が途絶えた為に、
急遽58歳で家督を相続していますが、
僅か6ヶ月後に死去しています。
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