北九州市八幡東区高見の市立谷口霊園に、
[小笠原家ゆかりの墓]があります。
小倉藩一門家老家は[御名字之族]と呼ばれ、
幕末期には小笠原織衛、小笠原若狭、
小笠原甲斐、小笠原内匠と名乗ってますが、
各家の当主は特定の名乗りを持たず、
非常にその系譜を追うのが困難。
今回訪問したのは[御名字之族]のひとつで、
上記四家の何れかの家祖ですが、
※織衛家、内匠家は判明しましたので、
若狭家、甲斐家のどちらかです。
拙い資料と知識では判断しかねますが、
とりあえず[ゆかりの墓]を訪問しました。
「小笠原家ゆかりの墓」。
谷口霊園の南端にある小笠原家の墓。
祝町市民センターのある場所にあったもので、
同センター(当時は槻田公民館)の建設に伴い、
谷口霊園に改葬されたようです。
「捐舘 本覺院殿源忠正城白居士 神儀」。
坂牧忠増の墓。
忠増は小倉藩初代藩主小笠原忠真の庶長子で、
妾腹であった為に家臣坂牧忠利の養子となり、
後に五男として実子に認められて、
坂牧監物として家老を務めています。
「本済院義寛正恩居士之墖」。
小笠原長救(長鎮)の墓。
忠増の次男として生まれており、
後に小笠原監物長救と改称しています。
「大玄院真鑑正光居士」。
小笠原貴長の墓。
長救の次男のようですが、
父に先立ち26歳で病死してしまいました。
判明していることは以上ですが、
今後何か判れば記事を追加致します。
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詳細不明の小笠原家墓所。