浜崎宿は唐津街道の宿場町。
虹の松原の東に位置していますが、
唐津藩領ではなく対馬府中藩領で、
鳥栖の田代代官所がこれを支配し、
出張所として役所が設置されていました。
※役所の場所はよく判りません。
浜玉町浜崎周辺。緑の線が唐津街道で、
青くぼかした辺りが浜崎宿跡。
東側より散策。… 続きを読む
佐賀県唐津市 浜崎宿跡
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浜崎宿は唐津街道の宿場町。
虹の松原の東に位置していますが、
唐津藩領ではなく対馬府中藩領で、
鳥栖の田代代官所がこれを支配し、
出張所として役所が設置されていました。
※役所の場所はよく判りません。
浜玉町浜崎周辺。緑の線が唐津街道で、
青くぼかした辺りが浜崎宿跡。
東側より散策。… 続きを読む
今町は長崎街道沿いにあった家並みで、
周辺は対馬藩の飛地領であり、
街道の東側は奈良田村に属し、
西側は柚比村に属していたようです。
この家並みは約30戸程であったとのこと。
道沿いには豆腐屋、竹細工屋… 続きを読む
養玉院の前身は平安時代創建の三藐院で、
江戸城の築城に際して上野に移転し、
寛永寺山内に寺地を拝領して三明院と改称。
後に対馬府中藩宗家の菩提寺となり、
2代宗義成の正室福姫の院号から、… 続きを読む
九州の十字路される九州自動車道鳥栖IC。
北は福岡、南は熊本・鹿児島、
西は佐賀・長崎、東は大分。
鳥栖は重要な交通の要所となっています。… 続きを読む
慶応2年12月12日(清:同治5年)、
清国広州の中外新聞に、
香港在住の八戸順叔という日本人の寄稿が、
掲載されたという。
掲載された記事は、
「日本は軍制を改革し新型兵器や軍艦を
購入、製造し現在既に火輪兵船(蒸気軍艦)
80隻を所有している。
また12歳から22歳までの優秀な若者
14名を選抜しロンドンに派遣。
留学生らは西洋風の髪型にそろえて、
ヨーロッパ式の軍服を着用し、
英語にも精通している。
江戸政府は督理船務将軍の中浜万次郎を
上海に派遣し火輪兵船を建造。… 続きを読む