今町は長崎街道沿いにあった家並みで、
周辺は対馬藩の飛地領であり、
街道の東側は奈良田村に属し、
西側は柚比村に属していたようです。
この家並みは約30戸程であったとのこと。
道沿いには豆腐屋、竹細工屋、篭屋、目薬屋、
蒟蒻屋、金物屋、酒屋、朝鮮人参屋、提灯屋、
樟脳屋、料亭、大工、石工等の店が並び、
正式な宿場ではありませんでしたが、
旅籠も数件あったとされています。
鳥栖市今町周辺。緑の線が長崎街道で、
青くぼかした辺りが往時の今町。
「今町の街並み」。
西に張り出した頂点辺りの写真ですが、
もう少し街並みっぽい場所もありました。
これは写真センスの問題ですね。
今町について記載された説明板と、
[庚申尊天]と刻まれた庚申碑。
庚申碑は全国に建てられており、
よく見かけるものではありますが、
基本的にはスルーしています。
折角なので庚申碑について説明すると、
古来より庚申の日になると、
人の体から[三尸の虫]が這い出し、
天帝にその人の悪行を言いつけに行き、
これを聞いた天帝がその人の寿命や、
死後の行先を決めるとされていました。
そこで人々は庚申の日に寝ずの宴を開き、
[三尸の虫]が這い出すのを防いだとされ、
庚申碑はこれを3年間続けた事を記念し、
建立されるものとのこと。
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