廻浦紀略」タグアーカイブ

下関市豊北町 二見浦

二見浦は響灘を望む小さな漁村ですが、
赤間関街道北浦道筋の海側の阿川ルートと、
内陸の滝部ルートの合流地点であった為、
宿場としても機能していたようで、
戸数は60~70戸もあったという。


二見浦」。
小規模な沿岸漁業を主とする二見漁港は、
魚の他にサザエ漁などが行われており、… 続きを読む

下関市吉見 吉見浦

吉見浦は古代からの港町であったとされ、
神功皇后がこの浦の風景を見て、
良き眺め」と言った事から、
吉見と名付けられたと伝承されています。
塩造りが盛んであったようで、
浦の北側に広がる永田の平地には、
中世より塩田が広がっていたという。


下関市吉見周辺。
左右が小高い岬に囲まれており、
※左側が網代山続きを読む

下関市彦島海士郷町 身投げ岩

壇ノ浦の戦い平家が敗れた為、
平家に仕えたの女官雑仕女達は、
彦島の平家一門の住居跡や、
漁師の家に匿われて潜んでいましたが、
彼女達は源氏の兵士達の格好の餌食となり、
陵辱の限りを尽くしました。
多くは乱暴を受けた後に殺され、
命を助けられた者も自ら命を絶ったという。

彦島老町にある身投げ岩続きを読む

吉田松陰の須佐巡見

吉田松陰は海防視察の為に、
北浦の巡視を行っていますが、
その様子は廻浦紀略で知る事ができます。
吉田松陰の北浦巡視①
これはから赤間関に至る巡視の日記ですが、
その前に萩以北の海岸線も巡視していました。
しかしこれについて書かれた日記等は無く、
僅かに代官の簡単な報告書が残るのみです。

嘉永2年
長州藩は海防の重要性を認識し、… 続きを読む

山口県長門市 泊台場跡

油谷湾を囲む向津具半島の先端油谷島に、
異国船打払の為の台場跡が残されています。


向津具半島周辺(泊台場跡の場所)
向津具は[むかつく]と読みます。
もちろん別にムカついているわけではなく、
向津国(むかつくに)と呼ばれていたのが、
年月が経つうちに変化したもので、
油谷湾の南側から見て、
[… 続きを読む

下関市豊田町 狗留孫山修禅寺

狗留孫山修禅寺長府毛利家の祈願寺で、
長府藩の庇護で栄えた真言密教の寺院。
由緒は古く古墳時代にまでさかのぼり、
本堂横に聳え立つ巨石は、
古代人の自然崇拝の対象とされ、
後に観世音菩薩の化身となります。

奈良時代には東大寺建立四聖の一人行基続きを読む

下関市豊北町 附野薬師と俵石

吉田松陰北浦巡視の際、
附野薬師のそばにある俵石という奇石を、
見学したとあります。


東山寺 」。
日本三大薬師のひとつとされる東山寺は、
当時は東福寺という寺号だったようで、
本尊の… 続きを読む