狗留孫山修禅寺は長府毛利家の祈願寺で、
長府藩の庇護で栄えた真言密教の寺院。
由緒は古く古墳時代にまでさかのぼり、
本堂横に聳え立つ巨石は、
古代人の自然崇拝の対象とされ、
後に観世音菩薩の化身となります。
奈良時代には東大寺建立四聖の一人行基が、
この狗留孫山で修行したとされ、
平安時代には弘法大師が狗留孫山に登って、
十一面観世音菩薩を彫刻して奉安しました。
これが現在の本尊となっています。
臨済宗開祖栄西も狗留孫山に登り、
それぞれの聖人が狗留孫山の観音岩に、
観音菩薩の尊容を感得したという。
鎌倉から南北朝時代の住職乗行は、
参詣の難を考慮して長府に祈願所を建立。
乗行は後醍醐天皇の病気の回復を祈願して、
奥の院の滝で水垢離を行い、
病気を平癒させたとされています。
江戸時代には長府毛利家に保護され、
本堂の改修や通夜堂の建立などが行われ、
歴代藩主の祈願寺として大いに栄えました。
吉田松陰も北浦巡視の際、
この狗留孫山修禅寺を参拝しています。
嘉永2年7月10日。
北浦を巡視中に阿川で宿泊していた松陰は、
強風で船が出せなかった為に、
同行する森重政之進、飯田猪之助と共に、
狗留孫山修禅寺に登りました。
麓の駐車場から約1kmの登山。
頑張って登ってみます。
参道横には石垣が積み上げられていますが、
これはたぶん伽羅跡や修行僧の住居跡、
又は参拝者の宿泊施設の跡でしょう。
梅が綺麗に咲いてるなと、
何気無しに写真を撮る。
すると・・・。
上記の写真のアップ。鹿がいる・・・・。
野生の鹿がよく出没するようです。
参道の至る所に巨大な杉が生えています。
流石に神聖な雰囲気なのですが、
それを感じる以前に体力を消耗。
運動不足ですね。
「無明橋」。
明治以前は狗留孫山は女人禁制。
女性はこの橋以上は登れませんでした。
仏教の女人禁制ってシキタリは、
女の人が不浄とされたと思われていますが、
どちらかというと修行僧の煩悩を絶つ為で、
女性を見せない様にしたのが主のようです。
ヒイコラ言いながら杖をついで登り、
道が石段に変わるともうすぐ!
苦労して登り終えた先に極楽浄土!
・・って雰囲気。
「修禅寺山門」。
急勾配の石段の上にそびえる山門。
長府毛利家「一文字三つ星」の家紋が、
かつて祈願寺であったことを物語ります。
お寺というより山城の正門といった雰囲気。
「修禅寺本堂」。
急勾配すぎて全景を写せる場所が無い!
本堂の全景を写したものは少ない。
ドローンでもない限り無理でしょう。
本堂の見事な彫刻。
祖師堂より本堂の眺め。
お寺の方に「よくお参りになりました」と、
お茶とお菓子を頂きました。これぞ極楽。
さらに奥の院と山頂へと続く道。
左側の岩壁が観音岩。
これも全景を捉えることが出来ません。
ここから約1kmの登山ということですが、
今回は断念。
松陰らは参拝を済ませた後に下山。
小野、大河内、江能を経て、
湯玉浦で宿泊しています。
長府毛利家の祈願寺であったからには、
幕末期に攘夷戦等も祈願されたのでしょう。
禁門の変や下関戦争などの敗戦を経て、
幕長戦争や戊辰戦争で勝利していますので、
御利益があったということでしょうね。
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松陰は嘉永2年に修禅寺を訪れました。