吉田松陰の視察日記[廻浦紀略]によると、
松陰は嘉永2年7月16日、
引島(彦島)福浦の金毘羅山に登っています。
この金毘羅山に灯籠堂があったそうで、
福浦に来る船の目印とされていたという。
金毘羅山は金刀比羅宮建立後の名前で、
富観台とも呼ばれていますし、
それまでは頭兜山… 続きを読む
下関市彦島 福浦金刀比羅宮
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吉田松陰の視察日記[廻浦紀略]によると、
松陰は嘉永2年7月16日、
引島(彦島)福浦の金毘羅山に登っています。
この金毘羅山に灯籠堂があったそうで、
福浦に来る船の目印とされていたという。
金毘羅山は金刀比羅宮建立後の名前で、
富観台とも呼ばれていますし、
それまでは頭兜山… 続きを読む
巌流島に行きました。
地元では巌流島について、
「何もないよ」と誰もが言います。
僕も小学生の頃に行ったことがありますが、
確かに何も無いただの小島で、
当時は釣人以外は行くことが無い島でした。
まあそれが大河ドラマ[武蔵]の影響で、
観光スポットのひとつとなります。
ですが何もないのは変わらないようで、
地元の人間は釣りをする人か、
何らかイベントがある場合以外は、
巌流島には行くことがありません。
親や兄弟、友達に、
「巌流島にでも行こうかな?… 続きを読む
彦島は京から落ち延びた平家の最後の砦。
平清盛の子である中納言平知盛が、
清盛の遺骨をこの彦島に納骨しています。
それが今回ご紹介する[清盛塚]。
清盛塚は小高い丘陵にあり、
民家の路地を抜けて山道に入ります。
竹やぶの道を進みます。
これが清盛の墓石。
長年無銘のまま放置されていましたが、
昭和4年に清盛塚と刻まれたそうです。
何故この石が清盛の墓ってわかったのかな?
この下に遺骨があるのでしょうか?… 続きを読む
彦島には南風泊という場所があり、
南風泊と書いて[はえどまり]と読みます。
ここの漁港は河豚のセリで有名なのですが、
それは置いておいて南風泊という名前。
子供の頃は水揚げされた魚に蝿が止まるから、
[ハエどまり]というのかと思ってました。
もちろんそんな事ではなく、
北前船がここを通行するとき、
南風が吹くと進むことができず、
足止めとなってしまい、… 続きを読む
僕が住んでるのは山口県下関市彦島。
簡単に説明すると・・・
赤いとこが山口県で・・・
その山口県の西の端が下関市。
その下関市の南端が彦島。
この島は相当細かい地図じゃないと、
本州と陸続きになってます。
でも実はは橋で繋がってるだけで、
ものすごく本州に近いのですが、
陸続きではないのです。… 続きを読む