下関市観音崎町 永福寺砲台跡

永福寺幽霊掛軸で有名なお寺。
(記事はこちら)
小倉戦争時にその境内に砲台が置かれました。


下関市観音崎町周辺(永福寺の場所)


永福寺の入口。
門前には山陽道西端の一里塚がありました。
現在の永福寺は高台にありますが、
当時は山陽道に面した位置にあったようです。
海岸沿いには唐様建築の観音堂が建てられ、
旧国宝に指定されていましたが空襲で消失。
地名の観音崎はその観音堂に由来します。


石段を登ると本堂がありますが、
今回は砲台跡を見に来たので、
上までは登りませんでした。


永福寺砲台跡」。
石段の途中に柵に囲まれた広場があり、
このあたりに二十四斤長加農砲が設置され、
門司にその砲口が向けられていました。
今は砲台だった面影は見られません。


対岸の門司を望む。
門司まではかなり遠いようですが、
砲弾は届いたのでしょうか?
たぶん届かなかったと思うので、
敵艦隊への威嚇に使われたのでしょう。

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