新青森駅南側に三内霊園があります。
市内有数の霊園で1万6000区画以上とされ、
霊園にありがちの心霊スポットでもあり、
色んな幽霊の目撃情報もあるようです。
そういうのは僕はあまり信じないタチですが、
箱館戦争で戦病死した官軍兵墓地があるので、
今回訪問してみました。
「三内霊園」。
版画の世界的巨匠棟方志功や、
歌手の淡谷のり子などの墓もあるらしい。
市街に点在していた墓地を一ヶ所に集め、
市街の規模を広げる目的で造られたとの事。
青森は箱館戦争の兵站基地でしたが、
同時に負傷兵も大量に送られて来ました。
看病の甲斐なく亡くなった兵達は、
神明宮、善知鳥宮、毘沙門堂に埋葬。
中央では神式葬が流行っているということで、
寺院に埋葬されたものを廣田神社に改葬し、
その墓地を招魂所と呼んだという。
以降は官修墓地として墓守が置かれましたが、
昭和21年に官修墓地制度が廃止された為、
管理が青森市に移ってここに改葬されました。
この際に他の寺院に埋葬されていた官軍墓も、
一緒に改葬されています。
「官軍兵墓所」。
三内霊園中央のロータリー南側に、
説明板と共に官軍兵の墓地があります。
雪で入口が塞がれていましたが、
膝まで雪まみれで墓所へ入りました。
向かって正面右側の墓石。
右から
御親兵藤村隼人源正春神霊、
長藩吉田甲熊多々良信明神霊、
長藩柴田平助政勝之墓、
徳山藩清水留之進源清行之墓、
長藩長松登人藤原直儀神霊。
右側縦列の墓石。
雪に埋まってしまっています。
右から、
徳山竹蔵、
義學法光信士(津藩士広瀬重保)、
得入院法秀信士(福山藩士河村秀三郎)、
釋哲成(長藩整武隊士重吉)。
正面左側の墓石。
右1つ目は先ほどの長藩長松のもの。
以降、
水戸藩黒羽平七正則墓、
水戸藩渡辺吉太郎正名墓、
長藩松原啓助源義房神霊、
備後福山藩中木初右衛門神霊、
徳山藤川駒之丞源正三之墓、
長藩李家内蔵夕正観之墓、
大野藩吉田留五郎忠照神霊。
左側縦列の墓石。
こっちも雪で埋まってしまってます。
右から、
諦屋了聴信士(岡山藩士今井環平)、
功學充幽居士(津藩士森田芳次郎)、
遼遊勵功居士(津藩士勝島喜左衛門)、
蕐岳嚴享居士(津藩士福田佐市)。
地元で無縁墓として放置されるものもある中、
縁もゆかりもない西国の無縁の戦死者の墓が、
こうして本州の北の果てで祀られていました。
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