栃木県足利市 足利陣屋跡

足利市には最古の学校とされる足利学校と、
足利将軍家菩提寺鑁阿寺がありますが、
そこに足利藩という小さな藩がありました。

宇都宮藩初代戸田尊次の五男戸田忠時は、
6代将軍徳川家宣御側役を務め、
1万1000石を与えられて足利藩を立藩。
宇都宮藩戸田家の分家筋ですので、
支藩と紹介されることもありますが、
領地は幕府より与えられていますので、
別家として独立した藩です。
※足利藩設立時の宇都宮戸田家は田原藩
 その後は佐倉藩島原藩を経て、

 最終的に宇都宮藩となっています。


陣屋大門」碑。
この路地の先に陣屋の大門があったので、
この道は陣屋大門と呼ばれたとの事。


陣屋跡 説明板」。
陣屋大門の路地を進んだ先にある説明板。
ここに陣屋の大門があったと思われます。
陣屋のあった場所は雪輪町ですが、
町名は戸田家の馬印雪輪からとの事。

周辺に陣屋時代の井戸がらしいのですが、
一帯を捜し歩いても見つからない。
時間の関係で探すのは諦めました。

国道293号を渡って、
移築された陣屋の表門へ。

足利陣屋移築表門」。
相当状態が悪いようで今にも崩れそう。
個人の持ち物なのでしょうけど、
貴重な足利陣屋の遺構ですので、
修理などしたほうが良いと思います。

足利藩最後の藩主戸田忠行は、
先々代藩主戸田忠録の子でしたが、
忠録は忠行が生まれる前に死去しており、
養子戸田忠文が跡を継ぎますが、
忠文は3年後に死去した為、
忠行が末期養子となりました。
文久2年に大番頭となりますが、
翌年には大番頭職は廃止。
藩政では藩士俸禄の削減の他、
文武の奨励を行っており、
軍制には蘭式を採用して、
西洋調練掛も設置しています。

天狗党の乱では藩医鈴木千里と、
その子の刈谷三郎が参加。
都賀郡に領地があった関係から、
天狗党と大平山退去の交渉をしています。
また足利藩の支配する栃木宿が放火され、
藩士らは天狗党に応戦しました。

忠文は慶応3年に陸軍奉行並
仏国陸軍伝習方に任命され、
後に軍制はフランス式に改められます。
大政奉還後も下野路挙兵等に藩兵を派遣し、
佐幕寄りの姿勢を崩しませんでしたが、
徳川慶喜寛永寺で蟄居すると、
新政府に恭順して戊辰戦争に派兵。
梁田戦争戸倉戦争に参加しました。

【足利藩】
藩庁:足利陣屋
藩主家:庄右衛門流戸田家
分類:1万1000石、譜代大名

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 足利藩戸田家の歴代墓所。
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