日柳燕石は琴平の侠客で尊皇家。
豪農加島屋惣兵衛の家に生まれ、
幼少期より儒学や国学、歌学も学び、
詩文や書画の才があったという。
その反面で侠気を持っていたようで、
21歳で家督を相続した後は、
33歳頃まで遊俠しており、
その人柄から浮浪の徒が集まってきて、
いつの間にかその首領となっていました。
また国学の影響からか勤皇の志に厚く、
尊皇攘夷志士達と交わって国事を語った他、
家財を売り払って家を潰してまでも、
彼らに援助を惜しまなかったという。
琴平には燕石に関する史跡が点在しており、
今回はそれらに訪問してみます。
「呑象楼跡」。
金刀比羅宮の参道を反対(北東側)に進み、
JR土讃線の踏切を越えたことろに、
日柳燕石宅である呑象楼跡地がありました。
現在はサッシのリフォームのお店で、
建物は他所に移築されています(後記)。
この呑象楼跡の隣にある興泉寺には、
燕石が寄進した井戸枠が残されています。
「燕石ゆかりの井戸」。
住職と親交があったようで、
燕石はこの井戸枠を寄進したようですが、
井戸そのものを堀ったのか、
井戸枠だけなのかはよくわかりません。
施主 日柳政章と刻まれていますが、
政章は燕石の名で、
一般に知られる燕石は号です。
呑象楼跡より県道206号を東に進み、
国道319号を越えると呑象楼が現れます。
「日柳燕石先生の旧宅呑象楼」。
移築されて保存されている呑象楼の建屋。
2階で酒を飲むと象頭山が酒盃に浮かび、
象頭山を飲み干すようであった事から、
「呑象楼」という名が付けられたという。
内部には抜け穴や隠しハシゴなど、
要人を匿うカラクリが残されています。
「贈従四位日柳燕石翁」胸像。
呑象楼の傍らにある燕石の胸像。
千人の子分がいる大親分ながら、
諸学に通じていたとされています。
ある者が学者の癖にさいころや花札を好み、
賭場を抱える博徒の親分だと非難すると、
燕石は自分は生粋の博徒であり、
博徒が学を好んでいるのだから、
自分を褒めて欲しいものだと笑ったという。
勤皇の士であることももちろんですが、
晋作とは馬が合ったのではないでしょうか?
呑象楼の北側にある春日神社へ。
「春日神社」。
古来より水神を祀った榎井大明神でしたが、
この地が藤原氏の荘園となった際に、
名称の変更が成されたという。
春日神社は藤原氏の荘園に、
多く建てられた神社だったようで、
境内に燕石の顕彰碑があります。
「日柳燕石翁之碑」。
春日神社境内にある燕石の顕彰碑。
燕石は北越戦争に軍務方書記として従軍し、
その従軍中に病没しています。
篆題は山縣有朋によるもの。
春日神社のさらに北側にある丸尾本店へ。
「長谷川佐太郎旧家(丸尾本店)」。
江戸時代は新吉田屋という屋号の酒造家で、
幕末の当主長谷川佐太郎は勤皇家でもあり、
燕石を兄のように慕っていたという。
晋作は燕石の紹介でここに潜伏しており、
高松藩の捕吏が踏み込んだ際には、
酒樽の中に隠して匿ったとされていますが、
佐太郎の妻は髪を引きずりまわされても、
知らぬ存ぜぬを貫いたとされています。
嘉永7年に満濃池が地震によって決壊。
その後14年間そのままであった為、
農民は毎年旱魃の被害に悩まされたという。
この窮状を見かねた佐太郎は私財を投じ、
満濃池の堤防を修復を開始して、
明治3年に完成させています。
この事で私財を使い果たした佐太郎は、
酒番頭丸尾忠太に酒蔵の権利を売り渡し、
明治31年に死去しました。
「日柳燕石先生生家跡」。
丸尾本店より東へ進んだT字路に、
燕石の生家跡があります。
豪農加島屋の豪華な屋敷があった場所で、
燕石は財産を一代で喰い潰したという。
もちろん志士達への援助もそうですが、
若い頃の放蕩、子分達の養いなど、
出費も相当なものだった事でしょう。
燕石の妻が質屋を始めていますが、
それでもどうしようもなくなって、
ここを売り払ってしまいました。
その後、子分宅などを転々とした後に、
前記の呑象楼を建てて移り住んだようです。
「日柳家墓地」。
生家跡から北へ進み踏切を越えて右折。
それからT字路を北へ進むと、
日柳家の墓地が現れます。
「日柳士煥爪髪瘞表(中央)」。
日柳燕石の遺髪墓。
右は燕石の両親の墓で、
左は長男三舟の遺髪墓。
燕石は高杉晋作を匿っていますが、
高松藩の捕吏に捕縛される事となり、
4年間獄舎に収監されています。
鳥羽伏見の戦いで新政府軍が勝利すると、
朝命によって高松藩は燕石を解放。
燕石は京都に上って宮中に参内し、
書や御盃を賜っています。
その後は桂小五郎と西国諸国を周旋し、
北越戦争に軍務方書記として従軍しました。
しかし柏崎で病を患って同地で死去。
柏崎招魂所に埋葬された後、
遺髪と爪が故郷へ持ち帰られ、
一族の墓所に遺髪墓が建てられています。
■関連記事■
・下関市竹崎町 白石正一郎旧宅跡
白石正一郎も援助で屋台を傾けた人物。
・兵庫県豊岡市 桂小五郎居住跡
出石にある桂小五郎の潜伏地跡。
・香川県仲多度郡琴平町 金刀比羅宮①
全国こんぴら信仰の総本社。
>讃岐の晋さん様
コメントありがとうございます。
お久ぶりです。
東行忌の記事にもコメント頂いていたのは覚えております。
やっと念願の琴平に訪問できました。
金比刀羅宮の石段は思ったよりしんどかったですが、
行って良かったです。
実は最近たまたまあの記事を見返す機会がありまして、
こんなに小さかったんだとしみじみしてた次第です。
あの頃よちよち歩きだったみよちゃんが、
今では金比刀羅宮の石段を自力で登れるようになりました。
これからも是非とも試撃行をよろしくお願い致します。
毎日ブログを拝見しております。讃岐の紹介有難うございます。
私も幕末史が好きです。高杉晋作大好きです。
高杉晋作150回忌の法要に行きました。
その時、偶然にも、みよちゃんと貴夫妻の入った写真があったのですが、今は???で、見つかりません。
今後も楽しみに読ませていただきます。
讃岐の晋さん