慶応3年11月15日。
坂本龍馬と中岡慎太郎は近江屋で暗殺され、
海援隊の陸奥宗光は仇を討つことを誓い、
紀州藩が暗殺事件の黒幕であると断定し、
※紀州藩はいろは丸事件で遺恨がある。
紀州藩公用人三浦休太郎を討つことを計画。
三浦の危険を察知した紀州藩が、
新選組に三浦の警護を依頼した為、
斎藤一ら7名が派遣されました。
「旅籠 天満屋跡」。
現在はマンションになっており、
小さなお地蔵様の祠が建っています。
「維新之史蹟 慶應三年十二月七日
天満屋騒動之跡 勤王之士 贈従五位
中井正五郎殉難之地」。
お地蔵様の脇に建てられた石標。
三浦は新選組と共に2階で酒宴を行い、
そこに海援隊及び陸援隊が襲撃しました。
この襲撃には十津川郷士中井庄五郎も参加。
中井は龍馬と親交があったようで、
宴席に入るなり三浦に斬りつけており、
行燈が消されて暗闇の戦闘が行われますが、
中井は斬られて討死してしまいます。
陸奥ら襲撃側は素早く引き上げており、
中井は以外は2~3名が負傷したのみ。
新選組は宮川信吉と舟津釜太郎が死亡し、
他に重傷1名を含む3名が負傷。
階下の三浦の若党ら3名も死亡しており、
新選組側の被害が大きかったようす。
しかし守るべき三浦は負傷したものの生還。
一応の名誉は守りました。
■関連記事■
・広島県福山市 鞆の浦①/②/③/④
いろは丸事件の交渉が行われた場所。
・京都府京都市 不動堂村屯所跡
この時の屯所は不動堂村にありました。