下関市豊田町 毛利元鎮墓所

一門家吉敷毛利家初代当主毛利元鎮は、
小早川秀包の嫡男に生まれますが、
秀包は関ヶ原の戦い西軍に属した為、
久留米13万石を改易されてしまいます。

秀包は元鎮らを連れて長州藩を頼り、
新たに知行地を与えられていますが、
その際に小早川姓を捨てて毛利姓に復帰。
しかし秀包はその翌年に病死してしまい、
元鎮が家督を継いで滝部周辺7千石を相続。
※元鎮在任中は吉敷への転封前。
元鎮は寛永2年(1625)に隠居しており、
嫡男毛利元包に家督を譲っていますが、
元包は吉敷領地替えとなっており、
知行地は1万1千石に加増。
元鎮はその後も暮らしたようで、
隠居後は45年も在命しています。


見龍寺」。
元鎮墓所の近くにある真宗本願寺派の寺院。
近くですが墓所とは関係ないようです。
元々は真言宗のお寺だったようで、
大内義隆の家臣であった山本信重の創建。
移転をかさねて大正2年に現在地に移り、
その過程で浄土真宗に改宗したようです。


見龍寺の門前を過ぎると案内板があり、
滑りそうな山道となっています。
これを進んで見龍寺の裏手へ。
訪問時は防府から来たというご夫婦がいて、
一緒に探しますが見当たらず。
一度降りて谷の向こうを登るとありました。
すこし迷うので行き方を載せておきます。

元鎮の墓への行き方。


大初院殿道一大居士」。
※墓碑銘は風化で読めず
吉敷毛利家2代当主毛利元鎮の墓。
当初は五輪塔であったようですが、
現在は自然石となっています。
元鎮は病弱であったと伝えられており、
家事を長府藩初代毛利秀元に一任しており、
後見役に家老白井包俊が指名されて、
家政が取り仕切られたという。
病気を理由に36歳で隠居していますが、
その割に82歳まで存命しており、
養生のおかげか長命であったようです。

偶然にもご一緒する事となったご夫婦。
ブログの事を話すと観た事があるとのこと。
史跡訪問の際に参考にされたようです。
これ程嬉しい事はありませんね。

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