大分県中津市 中津宿跡

中津宿中津街道の終点であり、
日田中津往還日向街道の始点。
また中津藩10万石のお膝元であり、
商人の出入りも多く賑やかであったという。


中津城下周辺。緑の線が中津街道、
青い線が日田中津往還で、
ピンクの線が日向街道です。
青でぼかした辺りが宿場跡。


小倉口」。
中津城下外堀西南隅の入口で、
小倉に至る街道の起点。
中津城内へ通じる西門に近接している為、
番所が旅人を監視していたという。
現在は小さな橋が架けられていますが、
江戸後期は太鼓橋が架かっていたようです。


片端町の街並み」。
小倉口を進むと片端町
現在は埋め立てられていますが、
江戸時代の左側は中堀となっており、
これが町名の由来となっています。


京町の街並み」。
宿場のあった京町通り
職人町京町姫路町と直線に続き、
黒田家時代からあったという。

街道が交差する城下で情報が入る為か、
杉田玄白と共に解体新書を著した前野良沢
儒学者白石照山慶應義塾福澤諭吉
運動家増田宗太郎、神道学者渡辺重石丸等、
中津藩には開明的な人物が多く、
進取の気質もあったようです。

■中津街道の宿場町
■日向街道の宿場町

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