深江宿は唐津街道の宿場町。
唐津藩、幕府、中津藩と支配が移り、
中津藩領となってからは代官所が置かれ、
怡土郡の中津領24村の年貢米2万石が、
集められた後に船で運ばれたようで、
宿場だけでなく物資集積地としても、
賑わいを魅せていたようです。… 続きを読む
福岡県糸島市 深江宿跡
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深江宿は唐津街道の宿場町。
唐津藩、幕府、中津藩と支配が移り、
中津藩領となってからは代官所が置かれ、
怡土郡の中津領24村の年貢米2万石が、
集められた後に船で運ばれたようで、
宿場だけでなく物資集積地としても、
賑わいを魅せていたようです。… 続きを読む
中津藩の鉄砲掛であった三木与右衛門は、
明治維新の前後に私塾三木塾を開き、
明治5年まで数学を教えていたという。
当時の私塾は漢学や儒学、国学等が殆どで、
数学を教える塾は非常に稀でした。
その三木与右衛門の墓が… 続きを読む
天仲寺は天仲寺山にあった禅寺で、
現在は廃寺となって建物は解体され、
跡地は天仲寺山公園となっています。
「天仲寺山 案内図」。
天仲寺山は標高28mの小山で、
元々は広津山と呼ばれていました。
中津藩初代藩主小笠原長次は、… 続きを読む
参勤交代制度があった事や、
隠居後も江戸で生活を送っていた為、
中津藩の藩主の殆どは江戸で死去。
遺骸は品川区の清光院に葬られ、
国許に墓は建てられませんでしたが、
7代藩主奥平昌猷は唯一領内で死亡し、
葬儀が行われて自性寺に葬られました。
自性寺は歴代の菩提寺で臨済宗の寺院。… 続きを読む
中津宿は中津街道の終点であり、
日田中津往還、日向街道の始点。
また中津藩10万石のお膝元であり、
商人の出入りも多く賑やかであったという。
中津城下周辺。緑の線が中津街道、
青い線が日田中津往還で、
ピンクの線が日向街道です。
青でぼかした辺りが宿場跡。
「小倉口」。
中津城下外堀西南隅の入口で、… 続きを読む