中津藩の鉄砲掛であった三木与右衛門は、
明治維新の前後に私塾三木塾を開き、
明治5年まで数学を教えていたという。
当時の私塾は漢学や儒学、国学等が殆どで、
数学を教える塾は非常に稀でした。
その三木与右衛門の墓が天仲寺山にあります。
「三木先生之墓」。
墓は小笠原家墓所への石段側。
あまり情報がありませんが、
三木は鉄砲掛だった為に高等数学や、
測量術にも優れていたとのこと。
天仲寺は金山小学校校舎に使用されており、
情報が乏しいので推測ではありますが、
塾を畳んだ時期と小学校開設が同時期なので、
三木も教壇に立ったのではないでしょうか?
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