青森県三戸郡 三戸城跡

三戸城三戸南部家の居城だった城で、
約2百年間居城とした聖寿寺館が焼失し、
※家臣の赤沼備中が24代南部晴政を恨み、
 放火したという。
新たな居城として築かれた城です。
熊原川を臨む台地に曲輪を配置した城郭で、
南部家の本拠に相応しい広大な山城でした。


三戸城跡 江戸時代初期の様子」。
現地案内板より。
台地の登頂部殆どが曲輪だったようです。


三戸城址」。
現在は三戸城跡城山公園となっており、
車で本丸跡まで行く事ができます。
跡碑は再建された綱御門手前にありますが、
今回は時間的な関係で本丸跡のみを散策。


三戸城本丸跡」。
車道は本丸跡にまで至り、
本丸跡は駐車場になっています。

北東隣の曲輪は多目的グランドのようで、
それ程見るべきものが無い為、
南西側の重臣の居住区だった曲輪へ。

三戸城温故館」。
天守風の建物のある歴史資料館。
なまこ壁のいかにもな模擬天守ですが、
三戸城跡が国指定史跡に内定した際に、
史実に基づかない建造物として、
文化庁に将来的な撤去を求めらたとの事で、
時期を見極めて解体する方針という。


糠部神社」。
旧南部藩士族佐藤連之助が主唱者となり、
二戸三戸北三郡の有志と共に、
南部家祖南部光行を祀る神社創建を上願し、
明治9年に創建された神社。
明治24年に失火により焼失したようで、
南部家より奉献された宝物等も燃えており、
後の明治27年に再建されています。

南部家は九戸政実の乱の後に、
三戸城から再建された九戸城に居城を移し、
福岡城と改称させて本拠としていますが、
所領に対して北寄り過ぎた為に、
盛岡城を築城して再度本拠を移します。
後に一国一城令で破棄を命じられますが、
中興の聖地であった為に残されて、
補修等も行われて保存されてました。

■関連記事■
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 盛岡藩南部家の居城跡。
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 盛岡藩の正式な支城。
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 二戸には九戸城跡があります。