青森以北の奥州街道は松前街道とも呼ばれ、
津軽半島の東海岸を沿って北上し、
三厩から船で松前に渡っていました。
油川宿はその最初の宿場町であり、
奥州街道として言えば110番目。
また羽州街道の終点ともなっており、
多くの人々が交差していました。
青森市油川大浜周辺。
緑の線が奥州街道でピンク線が羽州街道。
青くぼかした辺りが宿場だった場所。
「西田酒造店」。
街道が交わる宿場の中心地にあり、
青森市唯一の酒蔵とのこと。
[田酒]及び[喜久泉]の醸造元。
明治11年創業で江戸期にはなかった模様。
「羽州街道松前街道合流之地」。
羽州街道と奥州街道(松前街道)の追分で、
札の辻でもあった場所。
人や馬が行き交う活気ある場所でしたが、
明治4年に新城宿と青森宿の間に、
直通道路が通された事により、
人馬の列が急に途絶えてしまったとの事。
「伝馬町跡」。
羽州街道の筋は伝馬町と呼ばれ、
戦国末期より一番賑わいを魅せていた場所で、
安永7年(1778)には59軒の家があったという。
「羽州街道終点地伝馬町」看板。
終点というより伝馬町を表しているようです。
Uターンして奥州街道へ。
天田内川を渡った海側が本陣近江屋跡。
「先人の足跡消えず」碑。
本陣近江屋跡は空き地となっており、
よくわからない碑が建てられていました。
延宝年間(1673-1681)に造酒屋を創業し、
本陣に指定されて幕府巡見使の藤沢要人、
幕府測量方の伊能忠敬等が宿泊した他、
弘前藩主津軽寧親が領内巡視で使用。
昭和初期には役場や学校となったようで、
青森市合併40年を記念した碑とのこと。
■奥州街道の宿場町
■羽州街道の宿場町
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