乙11号1側に渋沢家の墓があります。
大河ドラマの主役となり、
1万円札にもなる渋沢栄一は、
昨今で急激に認知度が上昇した人物で、
日本資本主義の父と称される渋沢は、
現在も続く多くの企業に関わっていました。
「澁澤孺人伊藤氏之墓(左)」、
「青淵澁澤榮一墓(中左)」、
「渋澤敬三 渋澤登喜子之墓(中右)」、
「澁澤孺人尾高氏之墓(右)」。
左から後妻兼子、渋沢栄一、
孫の渋沢敬三夫婦、
そして前妻の千代が並んでいます。
本人の墓石が巨大なのはわかりますが、
2人の妻も大名家の正室のように巨大で、
その財力の程が伺えます。
渋沢栄一は血洗島村の豪農の家に生まれ、
従兄尾高惇忠の影響で尊攘運動を行った後、
平岡円四郎の推挙で一橋家家臣となります。
当主徳川慶喜の将軍就任で幕臣となり、
徳川昭武の随員として渡仏。
万博視察や欧米各国の歴訪に随行しますが、
新政府樹立に伴い帰国が命じられ、
昭武と共に日本に帰国しました。
帰国後は静岡藩に出仕して財政を担当し、
明治2年に明治政府に召喚されて出仕。
造幣、戸籍、出納等の政策立案を行い、
退官後は第一国立銀行や東京商法会議所、
東京証券取引所等の設立に携わります。
他にも多くの民間企業や金融機関を設立。
日本政財界の重鎮をして重きを成し、
引退後は教育、福祉、医療の発展に尽力し、
民間外交にも力を入れました。
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