広島県大竹市 木野川渡し場跡

安芸国周防国の国境を流れる小瀬川
江戸時代木野川と呼ばれていた様で、
現在とは違って橋が架けられず、
渡し舟で通行が行われていました。


木野川渡し場跡」碑。
道路脇に設置された碑と説明板。
これ以外も説明板が多数建てられています。


木野川渡し場跡」。
写真中央辺りが渡し場のあった場所。
川向こうには吉田松陰の句碑があります。
山口県岩国市 吉田松陰詩碑
夏の訪問で草が生い茂っていました。
渡し場付近の川幅は12間(約22m)、
水深4尺5寸(約1m40cm)とのこと。
渡し賃は武士は無料、他の者は2文、
牛馬は4文であったようで、
渡し守は木野村と対岸の小瀬村から、
2人1組で昼夜交代で行い、
費用は岩国藩広島藩が負担しました。
一般の旅人は2文の舟賃を節約する為、
水深2尺2寸(約70cm)の場所を、
舟渡しを使用せず徒歩で渡った様です。


木野の街並み」。
木野には古い商家が残っていますが、
明治後半~昭和前期のものらしい。
この辺りも芸州戦争の戦火に焼かれ、
かなりの被害を出したようです。
明治以降には製紙業が盛んに行われ、
立派な商家が建ち並んだとのこと。
江戸期の木野は宿場ではなかったものの、
川の増水で足止めされる為、
間宿としてある程度栄えたようです。


津屋の本陣門」。
酒造業で庄屋の津屋市郎左衛門家の門。
藩主の領内巡回時の休泊所に定められ、
増水で足止めとなった大名も利用。
この門は藩主専用の門とされ、
家族や一般の者は通る事が許されず、
開かずの門とも呼ばれていました。

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