円政寺は大内氏の祈願寺で、今の山口市円政寺町にありました。
大内氏滅亡後も毛利氏から保護され、
毛利氏が萩へ築城すると同時にこの地に移転してきました。
境内に金比羅社があるためか、入り口には鳥居があります。
この寺の住職恵運と伊藤博文の母親(林琴子)が従兄妹だということで、
伊藤(当時林利輔)はこの寺に一年半預けられていたそうです。
境内にはなにやらよくわかりませんが、竹に幕末長州の志士達が彫られています。
手作り感満載で、あまり字も上手くないのが残念です。
境内にある金比羅社の「大天狗面」。
高杉晋作が、家族に連れられて何度もこの面を見に来たという逸話があります。
他の子達がこの面を見て、恐れ泣いていたのに対し、晋作だけが怖がらなかったとか・・・。
・・事実かは知りませんが、まあそういう子もたまにはいるわけで、
ウチのみよちゃんもぜんぜん怖がりませんけどね。
晋作や伊藤が子供の頃、この木馬の鼻を撫でていたそうです。
晋作と伊藤が子供の頃会っていたのかどうか?
文献は無いのですが、晋作の家と目と鼻の先のこの円政寺に、
1年半も預けられて、会っていないというほうが不自然ですね。
大人になってからの上下関係を考えても、
幼少時にここで一緒に遊んで、上下関係が成立したんじゃないでしょうか?
子供の頃2歳違いって、相当のアドバンテージですからね。
大人になっても体が逆らえないんでしょう。
手書きの看板にこんなことが書かれています。
変な説明だなと思ったら「あの辺にあるよ」というだけで、
住居が残されているわけでも、公開されているわけでもないようです。
現在、一般の人が住んでる場所が、小田村家の住居だったというわけですね。
古地図で調べてみると、確かに「小田村文平」の文字が・・・。
茶色地で「法光院」と書かれている場所が円政寺です。
高杉又兵衛と書かれてる場所が晋作の家ですね。
・・・話は変わりますが、
晋作の妻の「雅」の実家は、大組500石井上家なんですが、
大組500石井上家がどこにあったのか調べても良くわかりません。
でも古地図には、晋作の家の前に井上繁之進と書かれている場所があります。
この井上繁之進もどんな人物だったのかわからない。
まさか雅の実家は目の前??若しくは親戚か??
もしそうなら晋作が出ずっぱりでも、親戚が近くにいるなら心強かったでしょうね。
まあ、井上家の隣の椋梨半兵衛というお宅も、椋梨藤太とは関係ないので、
全くの赤の他人かもしれませんが・・・。
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妻雅と妾うの。