大分県玖珠郡 安楽寺/森藩久留島家墓所②

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つづき。


瑞龍院殿前雲州太守
   廓翁湛然大居士 神儀
」。
7代藩主久留島通同の墓。
5代久留島光通の七男として生まれ、
兄で6代の久留島通祐の養子となり、
その通祐の死去により家督を相続。
大坂城番に任じられていますが、
在任中に死去しています。


大通院殿前豫州太守
   道崇徳有大居士 神儀
」。
8代藩主久留島通嘉の墓。
7代通同の次男として生まれ、
父の急死に伴い家督を相続しています。
困窮する財政の立て直しを図り、
上米制導入、専売制度の確立、
運上金引き上げ等の改革を行い、
一定の成功を収めています。
陣屋裏手に壮大な三島神社を造営し、
後詰めの城さながらの規模とした他、
藩校修身舎を創設して文武を推奨。
名君であったという。


良峰院殿前房州太守
   仁徳義勇大居士 神儀
」。
9代藩主久留島通容の墓。
8代通嘉の三男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
倹約令特産品政策を行っていますが、
就任後4年で死去しています。


圓通院殿前雲州大守
   観覺良岳大居士 神儀
」。
10代藩主久留島通明の墓。
9代通容の長男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続しますが、
僅か2年で病気を理由に隠居。
その16年後に死去しています。


叡泰院殿前信州太守
   道智明雄原泉大居士 神儀」。
11代藩主久留島通胤の墓。
8代通嘉の七男として生まれ、
甥で10代藩主の通明が隠居した為、
養子となって家督を継いでいます。
幕末の開国問題では諸藩の意見を広く聞き、
積極的に取り入れるべきと主張。
これが幕府に睨まれる結果となり、
尊攘派の藩士が脱藩する事件が起こると、
老臣5名を辞任させて謝罪しています。
安政6年、死去。


舜岳院殿前豫州太守
   仁厚虚受大居士 神儀」。
12代久留島道靖の墓。
11代通胤の長男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
先代が幕府に睨まれていたせいか、
就任後も長らくお国入りが認められず、
慶応3年まで江戸で暮らしました。
国許では藩論が勤皇に統一された為、
大政奉還後すぐに京都入りし、
新政府に恭順の意を示しています。
明治12年に死去。


泰嶺院殿研光義湛智道大居士
 春光院殿實相妙大姉
」。
13代当主久留島通簡と継室銚子の墓。
11代通胤の次男として生まれ、
兄の12代通靖の死去に伴い家督を相続。
子爵を叙爵され貴族院議員を務めました。

久留島家の墓所は墓地中央にあり、
玉垣に囲まれていますが、
周辺には一般の墓が並んでいます。
その一部はかなりの高さがあり、
藩主の墓よりも巨大。
偶然なのかわざとなのか不明ですが、
位置的にも藩主家を陵駕するようで、
あまり他では見られない光景でした。
勿論大きな墓を建てるのは、
別に悪い事ではありませんし、
東京の霊園などではよくある事。
偶然だと思いたいですね。

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