大分県玖珠郡 安楽寺(森藩久留島家墓所)

森藩久留島家の墓所は、城下の安楽寺にあります。


安楽寺」。
森藩主来島家の菩提寺で、山号は大通山
来島村上家の伊予の菩提寺は、
安楽山大通寺という事で、
山号と寺名を入れ替えたようです。


久留島武彦先生之墓所」。
山門を入って左手には、
童話作家久留島武彦の墓所があります。


久留島武彦の墓」。
最後の藩主久留島通靖の孫で、
全国の幼稚園・小学校を巡り、
絵本の読み聞かせ活動を行いました。
日本のアンデルセン」とも称され、
童謡「夕やけ小やけ」の作詞者でもあります。


久留島家墓所」。
本堂の裏手にある藩主家の墓所。
大名の墓石にありがちな五輪塔笠塔婆型ではなく、
普通の位牌型の墓石が並んでいます。


初代 来島康親(長親)」。
初代藩主来島康親の墓。
関ヶ原の戦いで西軍に属した為に、
一時改易されましたが、後に許されて再興。
内陸部の玖珠郡を与えられ森藩を立藩しました。


十一代 信濃守通胤」。
11代藩主久留島通胤の墓。
開明的な藩主だったようで、
開国問題では諸藩の意見を取り入れるべきと主張し、
幕府に睨まれていました。
尊攘派の藩士が脱藩した事で、
幕府に嫌疑を掛けられたため、
老臣5名を辞任させて謝罪するなど、
小藩ゆえの苦労もあったようです。
安政6年、死去。


十二代 伊予守通靖」。
12代久留島道靖の墓。
先代が幕府に睨まれていたせいか、
藩主就任後も長らくお国入りが認められず、
慶応3年まで江戸で暮らしました。
国元では藩論が早くから勤皇に統一されていた為、
大政奉還後すぐに京都入りし、恭順の意を示しています。
明治12年、死去。

森藩主である久留島家の墓所は、
大名の墓所の中でもかなり質素な部類に入ります。
支藩でももっと豪華な墓所の大名の墓はありますね。
小藩とはいえ直参の大名ですので、
もう少し大きくてもいい気もしました。
森藩の事ではありませんが、
あるお寺では武士よりも町人の墓が大きいようで、
武士は墓に金を掛けず、刀に金を掛けるべき
という風潮があったとか。
久留島家でもそういう感じだったのかもしれません。
山城に仕立てた陣屋後方の末廣神社をみると、
内陸に押し込まれた水軍の気骨のようなものを、
感じるような気がしますね。

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