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森藩久留島家の墓所は安楽寺にあります。
生憎の小雨日和の訪問。
「山門」。
久留島家菩提寺の曹洞宗寺院で、
山号は大通山。
来島村上家のかつての菩提寺は、
伊予国北条の安楽山大通寺だったようで、
山号と寺名を入れ替えたようです。
「本堂」。
唐破風屋根の玄関を構えた本堂。
建立時期はわかりません。
山門を入って左手には、
童話作家久留島武彦の墓所があります。
「久留島武彦墓」。
最後の藩主久留島通靖の孫で、
全国の幼稚園や小学校を巡り、
絵本の読み聞かせ活動を行いました。
日本のアンデルセンとも称され、
童謡夕やけ小やけの作詞者でもあります。
「久留島家墓所」。
本堂の裏手にある藩主家の墓所。
歴代藩主や親族の墓が並んでいます。
「大滋院殿前金吾
雲山玄龍大居士 神儀(右)」。
「安祥院殿前丹州太守
泰雲健康大居士 神儀(左)」。
初代藩主来島康親(長親)の墓と、
2代藩主久留島道春の墓。
来島村上家の当主であった康親は、
関ヶ原の戦いで西軍に属した為、
一時改易されていましたが、
福島正則や本多正信の執り成しで再興。
1万4千石で森藩を立藩しますが、
豊後国玖珠郡森は内陸部であり、
水軍としての来島村上家は終焉します。
2代道春は初代康親の嫡男で、
父の死去により家督を相続。
姓を来島から久留島へと改めており、
幕府の普請や慣れない陸政に苦慮しつつ、
森藩の藩政の基礎を固めています。
「瑞雲院殿前信州太守
洪岳道範大居士 神儀」。
3代藩主久留島道清の墓。
2代通春の長男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
相続時に弟達に1500石を分与した為、
森藩は1万2500石となりました。
45年の長期治世の後に死去。
「泰龍院殿前信州太守
活水浄湛大居士 神儀(左)」、
「檜巌院殿前豫州太守
用中道昌大居士 神儀(右)」。
4代藩主久留島通政の墓と、
5代藩主久留島光通の墓。
4代通政は3代通清の長男に生まれ、
父の死去に伴い家督を相続します。
その治世は19年でしたが、
継嗣に恵まれなかったようで、
実子はおらず他家から養子を貰いますが、
脇坂安照の三男久留島通用は死去、
池田光仲の六男久留島通孝は廃嫡、
※廃嫡理由は不明。
六弟の久留島通重も死去しており、
最終的に従兄弟の光通が継嗣となります。
この光通が通政の死去で家督を継ぎ、
5代藩主となっていますが、
治世では飢饉が発生しており、
その対応で財政が悪化しています。
「泰清院殿前信州太守
敬山寂照宗奇大居士 神儀」。
6代藩主久留島通祐の墓。
5代光通の五男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
伏見奉行に任じられており、
窮民を助ける仁政を行った他、
炎上した内裏の普請も行いました。
藩政では文武を奨励したという。
つづく。
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