福島県白河市 皇徳寺

皇徳寺は白河大工町にある臨済宗の寺院。
平安前期の法相宗寺院勝道寺を前身とし、
平安末期に臨済宗寺院として再興され、
皇徳寺と改称したと伝わります。


本堂」。
丹羽家白河藩時代に現在地に移転し、
現在に至るとのことですが、
本堂はそれ程古くない模様。


戦死人供養」碑(左)、
誠忠院義勇英劔居士(左2)」。
列藩同盟軍戦死者11名の供養碑と、
新選組隊士菊池央(菊地央五郎)の墓。
供養碑は白河宿中町の大庄屋桑名清兵衛が、
手代町大工町で戦死した11名を合葬し、
明治2年に建立したもの。
菊池央は弘前出身の新選組隊士で、
入隊は慶応3年6月以降とされます。
慶応4年4月25日に白河口で戦死し、
この皇徳寺に葬られました。


羅漢山人墓(左)」、
米汁呑了信士(小原庄助の墓:右)」。
羅漢山人(蒲生羅漢)は幕末期の南画家で、
道釈人物図墨梅図等の作品が残ります。
右の徳利をかぶせたような墓は
小原庄助の墓と称されていますが、
本来は会津塗師久五郎の墓。
民謡会津磐梯山に登場する小原庄助は、
この久五郎がモデルという。
羅漢山人と同じく酒好きだったようで、
2人で連日連夜飲み明かしており、
その末に久五郎が客死してしまった為、
皇徳寺に葬られたようです。
その3年後に羅漢も死去しており、
久五郎の隣に葬られました。
久五郎の辞世は
 朝によし昼なほよし晩によし
     飯前飯後その間もよし

とのこと。

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