功山寺境内の旧長門尊攘堂への石段脇に、
儒学者小田南陔らの墓があります。
「済川先生墓(右)」「南陔先生墓(右2)」、
「嶽陽先生墓(左2)」、
「嶺雲院清菴常涼居士(左)」。
小田亨叔(済川)の墓、小田南陔(圭)の墓、
小田嶽陽の墓、小田雲同の墓。
亨叔は永富独嘯庵の実弟で、
下関市王司 永富獨嘯庵先生顕彰碑
医師小田雲同の養子となった人物。
長府藩の藩校敬業館が創設されると、
その学頭に就任しています。
南陔は亨叔の養子とされており、
小田家を継いで父と同じく学頭に就任。
藩主毛利元義の侍講も務めたようで、
頼山陽とも旧知の仲だったとのこと。
嶽陽は南陔の子でその跡を継ぎ、
長府藩の子弟の教育に尽くしました。
亨叔の義父の小田雲同は安芸国の出身で、
筆頭家老細川宮内家の従医だったという。
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長府藩主が催した曲水の宴。
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境内に南陔の詩碑があります。
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文化文政の文化人廣江殿峯の墓。