綾羅木川の支流砂子多川の畔に、
曲水の宴の碑という碑が建っています。
この曲水とは「ごくすい」と読むようで、
曲水の宴は奈良~平安時代に、
宮中で催された歌会だったようで、
水の流れのある庭園等で、
その流れの畔に宴の出席者が座り、
上流の者が上の句を作って杯にのせて流し、
下流の者が盃が流れてくる前に、
下の句を読むという趣向の宴でした。
「曲水の宴跡」。
文政7年(1824)3月3日。
長府藩11代毛利元義は、
宗家の長州藩12代毛利斉元を招き、
この場所で盛大に宴を執り行いました。
現在の砂子多川はコンクリートで築堤され、
その風情は損なわれていますが、
ハヤ等の川魚が泳ぐ綺麗な小川です。
「曲水の宴の碑(手前)」、
「陪沙川曲水宴記(中央)」。
碑の建っている場所は狭く撮影が困難。
なんとか横側から撮影しました。
中央の碑は長府藩儒小田南陔(圭)が、
曲水の宴の様子を記したもの。
宴は宗家藩主も出席したものでしたが、
前記の上流、下流で歌合わせする者の他、
絵を描く者、酒を温める者、林の中に入り、
鳥を捕まえる者、酔ってどなる者など、
様々な事をしている者達もおり、
そのうちに鍋を叩いたり、樽を叩いたり、
踊ったりしだしたとのこと。
つまりどんちゃん騒ぎだったようです。
宴は斉元が藩主に就任して間もない為、
この祝いの宴だったのかもしれません。
苦労人の藩主であったようですので、
この宴は無礼講であったのかも?
雅な感じとは程遠いようですね。
奥は皇太子殿下御降誕記念梅林碑。
周辺に梅林は見当たりませんが・・・。
もうひとつ。
「かっぱ石」。
足許を見ると小銭が置かれている石が・・。
昔はこの川に河童が住んでおり、
出てきてはイタズラをしていたという。
ある日近所の百姓が河童を捕まえ、
手足を縛り頭の皿の水を掻き出すと、
これには河童も参った様で、
以後はイタズラをしませんと誓い、
その百姓に許してもらったようです。
河童は誓いの証拠に大きな石を持って来て、
この石が土になるまで誓い守るといい、
以降は出て来なくなったとのこと。
しかしその後の明治37年の大洪水で、
その石がどこかへ流されてしまい、
とうとう見つかる事はなかったという。
この石は子供達の安全を守るために、
昭和62年に復元したもの。
曲水の宴は文政7年という出来事で、
幕末まではまだ遠い時期の話。
宗家藩主を招いてどんちゃん騒ぎの後、
夜はその騒ぎも静まって、
三日月が綺麗な夜であったとか。
蝋燭の灯は花に映えており、
その花が水に映って美しかったようです。
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