野間之関は薩摩藩の三大関所のひとつで、
※他の二つは去川の関、小川内の関。
その峻厳さで全国に知られたという。
物資の密輸、基督教や一向宗の取締、
藩内の機密保持を目的としていたとされ、
出水筋は陸海の要地であった事から、
非常に厳重だったとされます。
「野間之関跡」。
跡地には関所門が再現されており、
跡碑も建てられています。
「野間之関址」碑。
東郷平八郎の書による跡碑で、
大正12年に建立されたもの。
現地案内板に描かれた関所の様子。
規則は時代によって異なりますが、
他領への旅行者や物資の出荷を検査し、
無証文の者は絶対に入れませんでした。
頼山陽は夕方に野間の関にやって来て、
通る事が出来ずに引き返し、
農家で一夜を過ごしたとされ、
高山彦九郎は怪しまれたのか、
半月も足止めされており、
薩摩びと いかにやいかに
刈萱の関も鎖さぬ御代とは知らずやと、
憤慨した気持ちを詠んでいます。
「古井戸」。
野間之関跡に残る唯一の遺構。
怪しい奴はこの水で拷問された??
野間之関跡から北東へ400m進み、
有村雄助の首実験が行われた場所へ。
「有村雄助首実験之地」。
有村雄助は有村次左衛門の兄で、
次左衛門らが井伊直弼を討つと、
これに呼応して挙兵を促す為、
水戸浪士金子孫二郎、佐藤鉄三郎と共に、
大坂へ向かいますが、
四日市で薩摩藩の捕吏に拘束されます。
金子、佐藤は伏見奉行所へ引き渡され、
雄助は国許に護送。
国許では盟友一同が助命を嘆願しますが、
藩は幕府の探索が迫った為に切腹を命じ、
これに雄助は潔く切腹しました。
幕吏が容疑者の引き渡しを求めると、
領内に幕吏を入れさせない為、
この場所で首実験を行って、
領内に入れさせぬまま帰らせたという。
■関連記事■
・東京都荒川区 小塚原回向院
有村次左衛門ら桜田十八士の墓所。
・鹿児島県出水市 米ノ津宿跡
関所に程近い宿場跡。